ふーぽ編。ローカル・WEBマガジン・レポート

2022.04.12

第2回

「PV」って何だ?

 

―― 皆さん。初めまして。〈HOKUROKU〉編集長の坂本です。

 

一同:よろしくお願いします。

 

―― 堀さんとはようやく対面できました。

 

HOKUROKUで取材させてもらった時にはオンラインでしたし、富山県のある会議でご一緒した時も画面越しでした。

関連:新・文章読本。分かりやすく美しい「読点」の打ち方・使い方の作法

堀:ようやくお会いできました。今日は何でも聞いてください。全てお答えします。

 

堀一心さん

 

―― 今日、ここに来るために住所を調べるまで気付かなかったのですが、福井新聞社の中に事務所が入っているのですね。

 

 

堀:はい。新聞社の編集技術を生かして「fu」という雑誌をつくるために立ち上がった福井新聞の子会社が、このfu プロダクションになります。

 

―― 〈月刊fu〉は、福井で知らない人が居ないと別の取材で聞きました。

 

この雑誌は書店などに置いてあるのですか?

 

堀:一部の書店で小部数だけ販売していますが、主には、福井新聞に折り込まれて各家庭に配布されます。

 

ご存じのように、年齢層の高い男性が新聞の主な読者層です。

 

新聞とは違う30〜40代の女性読者に新たな広告媒体をつくろうと立ち上がったメディアが月刊fuです。

 

 

―― その創刊時に堀さんは関わっているのですか?

 

堀:1997年(平成9年)が創刊で、その時私は居なかったです。2015年(平成27年)のリニューアル時に戻ってきました。

 

もともとは、福井新聞に記者として入社したのですが、福井県内の別の出版社に転職し、雑誌〈月刊ウララ〉の編集をしていました。

 

福井の魅力的なヒト・モノ・コトを伝える雑誌メディア。創刊から30年以上の時間を積み重ねる。撮影:堀一心

 

しかし、月刊fuを大規模にリニューアルするタイミングで福井新聞から「戻ってこないか?」と言われ、すごく迷ったのですが戻りました。

 

―― そういう出入りが許されるカルチャーがあるのですか?

 

堀:いえ、許されなかったです。かなり。

 

―― そうでしょうね(笑)

 

堀:そもそもが迷惑を掛けて辞めた上に、とてもとてもお世話になったウララを辞めて、また戻ってくるとあって……。

 

「お前を歓迎しないやつも居る」とはっきり言われました。

 

まあ、言われてもしょうがないとは自分でも思いますね。

 

ですが、戻ると決めた以上は月刊fuのリニューアルに全てを注ぎ込もうと覚悟を決めました。

 

―― その雑誌づくりから、fu プロダクションがウェブメディアのふーぽを立ち上げるまでには何があったのですか?

 

堀:fu プロダクションは、月刊fuをつくる制作会社としてもともと独立しています。

 

撮影・編集技術を生かして、より積極的に行政のプロポーザルや企業広告を取りに行くようになりました。

 

仕事を増やしていく中で、紙の冊子・デザイン・広告の仕事も増えていきましたが、言ってしまえば全て請け負いです。

 

自分たちで、出版社として何かを出そうと動き始める中で、オリジナルの雑誌を出したり、ウェブメディアも立ち上げようと考えたりしました。

 

福井版〈ランチパスポート〉などオリジナルの紙媒体を作成し実績を残した

 

その当時、福井新聞社のウェブメディアとして〈福井新聞D刊〉や〈福井新聞ONLINE〉がありました。

 

しかし、新聞のような報道ではなく、生活情報・楽しい情報をちゃんと出すメディアはありませんでした。

 

福井新聞D刊。パソコンの画面をスクリーンショットし挿入

 

そこで、月刊fuやその他の媒体で培った編集技術を生かしてウェブでも情報発信しようと2017年(平成29年)の夏ごろにふーぽの構築をスタートした流れになります。

何でもかんでも入れて選んでもらおう

―― 立ち上げのメンバーは何人くらい居たんですか?

 

堀:少人数です。4人くらいでしょうか。

 

左から、営業企画チーフの木曽智裕さん、編集部員の三村勝重さん、Web企画室の光眞坊まり子さん

 

三村:原稿を用意する作業は月刊fuのメンバーが手伝ってくれましたが、ウェブとしての形づくりをする人員は2人とか少人数でした。

 

堀:しかも、そのメンバーはウェブメディアづくりのノウハウを持っていませんでした。

 

「PVって何だ?」という状態でしたし〈WordPress〉の入れ方も本を読みながらでないと分かりませんでした。

 

ウェブ制作会社が創刊時はすごくいいことを言うんです。「3年後にはこんな収益が出ますよ」なんて夢物語を口にするのですが、その言葉の良しあしを判断もできない状態でした。

 

そんな中で、どんなふうに出稿して、どのように公開するか、流れをゼロから考える作業にすごく時間が掛かりました。

 

―― メディア業界に居る人たちが2017年の段階でPV(ページ・ビュー)を知らないとはさすがに思えないのですが。

 

例えば、福井藩主・松平春嶽を福井の人が知らない、橋本左内を知らないくらいの話ですよね。

 

堀:いや、当時の紙のメディアの人間はそんなものでしたよ。そうだよね?

 

三村:本当です。

 

堀:そんな状況で、ここに居る光眞坊がメンバーに入ってくれます。

 

 

その当時、光眞坊は他社で、ファミリー向けのメディアをやっていました。

 

ママさんにはすごく読まれていたサイトで、そのサイトが閉鎖されたタイミングで、たまたま光眞坊と会う機会があったのです。

 

サイトを運営していた知識やノウハウは、なかなか得難いです。そのまま放置するのはもったいないから一緒にやろうと誘いました。

 

―― どのような経験を具体的にしてきたのですか?

 

光眞坊:広島でウェブマーケティングの仕事をしていました。立ち上げからではありませんが、子育てサイトの運営に3年ちょっと携わっていました。

 

 

サイトの更新だとか、一般のママブロガーを集めてイベントとかまちの情報を拾ってもらい、その人たちに書いてもらった原稿をサイト内で記事として読めるようにする作業などをやっていました。

 

ママに人気のある公園の特集とかを拡充していくと読者も増え、そのうち企業から仕事を頂く、いわば記事広告も手掛けるようになっていました。

 

―― ウェブメディアの編集の仕事に限りなく近いですね。確かに声を掛けたくなります。

 

堀:そうなんです。

 

この光眞坊のノウハウを生かして、イベント情報などを中心にファミリー向け・女性向けのウェブサイトとしてふーぽを最初に位置付けていきました。

 

―― そうした準備を経て創刊へ至るのですね。

 

堀:はい。2018年(平成30年)3月の創刊です。

 

副編集長のコメント:PVも知らないところから、福井県民の多くに知られるウェブメディアになるとは。

 

ここまで成長するためにどのようなコンテンツづくりにこだわってきたのでしょうか?

 

次回は、ふーぽの編集方針についてお聞きします。)

スマートホンやパソコンで読める福井新聞の電子版。

ウェブサイト内のページが開かれた回数を意味する。

幕末の福井藩士。教育界の発展に貢献した。

サイトやブログ作成ができるコンテンツ管理システム。

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