富山の人が「ばんそうこう」を「キズバン」と呼ぶ唯一の県民である理由。

2020.10.29

vol. 04

「キズバン」の言葉は1960年に富山で使われていた。

写真:photoAC。

富山で盛んな配置薬に入った〈きずぐすりばんそーこ〉が、略語の法則に従って「キズバン」と呼ばれるようになり、その略語が一般名詞になったのではないかと前回までで紹介しました。

 

しかし、この話も、きずぐすりばんそーこという商品が、かなりのシェアで配置薬の中に入っていたと確認できなければ、市民への広がりという意味で説得力に欠けます。

 

あるいは、きずぐすりばんそーこでなくても、類似の「キズバン」的な名前の救急ばんそうこうが、配置薬の中にたくさんあったという事実を確認したいところ。

 

市民の共通言語になるためには、商品との豊富な接触回数が必要だからですね。

 

富山市売薬資料館に所蔵された〈きずぐすりばんそーこ〉の中身。撮影:坂本正敬。

その辺りを配置薬業界の組合である富山県薬業連合会に確認すると、同連合会の担当者が当時の様子を記憶する人を、元売薬(配置員)や卸売屋の中から探してくれました。

 

その結果、1960年(昭和35年)から1961年(昭和36年)に薬売(配置員)の商売に就いた人が、就業時に「キズバン」を扱っていたと記憶している事実が判明します。

 

1960年(昭和35年)から1961年(昭和36年)と言えば、共立薬品(奈良)や阿蘇製薬(熊本)の製品が〈きずぐすりばんそーこ〉と記されて富山の配置薬に入ってきた時期と、ほぼ重なります。

 

しかし、不幸にもこの証言者は、富山県薬業連合会の担当者から情報を得て間もなく、高齢のために亡くなりました。

 

証言者の語る「キズバン」とは具体的に何なのか、どのくらいの高い確率で「キズバン」が配置薬に入っていたのか、直接確かめる機会は得られませんでした。

 

とはいえ、昭和30年代の半ば(1960年前後)に「キズバン」と呼ばれる商品が配置薬の中に入っていたという貴重な証言は得られたわけです。

 

実際に富山県の家庭に置かれている現代版の配置薬。

幾つもの会社が「キズバン」をつくり始めていた。

ただ、証言者の記憶している商品名は「キズバン」です。きずぐすりばんそーこでない理由は、時の経過の中で略語と商品名を混同している可能性もありますし、「キズバン」という略語の広まりとともに、きずぐすりばんそーこ以外にも類似の名前の救急ばんそうこうが、次々と生まれ始めていたとも考えられます。

 

どちらなのでしょうか。富山県薬業連合会の担当者にもらった富山県配置家庭薬品目収載台帳(売薬が扱える製品の品目リスト)には、後者の可能性を思わせる情報が載っています。

 

例えば富山県配置家庭薬品目収載台帳(売薬が扱える製品の品目リスト)の1990年(平成2年)の記録を見ると、この時期には「キズバン」という名前を使った富山の製品が、たくさん見られます。

 

具体例は以下の通り(社名、住所、製品名の順番)です。

  • 朝日製薬株式会社(富山市太田口通り)・・・〈アサヒきずバン〉
  • 株式会社ケロリン屋本店(富山市寺島)・・・〈ビーオキズバン〉〈肌色マルトキズバン〉
  • 晴壽堂薬品株式会社(富山県上市町)・・・〈きず絆ベンリー〉〈きず絆ベンリーS〉〈きずバンA〉〈きず絆キプラ〉〈きず絆ガード〉

3社ともすでに医薬品の製造を廃業しているとの話で、製品名の由来や歴史を聞けませんでしたが、昭和30年代ごろに共立薬品(奈良)や阿蘇製薬(熊本)の製品がきずぐすりばんそーことして富山に入ってから30~40年の間に、「キズバン」的なばんそうこうが、富山の配置薬の中に目立って存在するようになった事実は実際にあったのですね。

 

これだけ各社から「キズバン」的な(救急)ばんそうこうが出回っていたとすれば、市民との接触も増え、呼び方への影響もいよいよ決定的になっていくと考えられます。

 

(副編集長のコメント:次はいよいよ最後の第5回。富山県立図書館の協力を得て、資料を総ざらいしてみました。)

この記事を書いた人

Avatar

関連する記事

オプエド

この記事に対して、前向きで建設的な責任あるご意見・コメントをお待ちしております。 書き込みには、無料の会員登録、およびプロフィールの入力が必要です。