救急ばんそうこうを「キズバン」と富山の人だけが呼ぶ理由。

2020.10.28

vol. 03

配置薬の関係者が富山県内には多く居た。

写真:とやま観光推進機構。(※写真はイメージです)

富山の配置薬ではどのようなばんそうこうが扱われていて、どの程度のシェアを県内で誇っていたのか、富山市の呉羽山のふもとにある富山市売薬資料館に次は問い合わせてみました。富山の薬について豊富な情報を持っている専門機関です。

 

富山の配置薬の中に「キズバン」的な名前の商品が含まれていて、その商品が県民に広く親しまれていたとすれば、いよいよその配置薬の「キズバン」が県民の呼び方に強く影響を与えたのだろうと考えられます。

 

あらためて配置薬を復讐すると、配置薬とは「置き薬」「家庭薬」とも呼ばれ、江戸時代から今に至るまで富山で育まれてきた文化です。

 

担当エリアの家を従事者が周り、薬の入った救急箱のようなセットを無料で置いて帰ります。時間を空けて再訪問した際に、使った分だけの薬代を徴収するスタイルの商いです。

 

疑問点を整理すると、

  1. どのような名前の救急ばんそうこうが配置薬の中には入っていたのか?
  2. そもそも配置薬はどの程度のシェアで富山の人たちの暮らしに入り込んでいたのか?

この2点になります。

 

2についての考えをまず同館の担当者に聞くと、配置薬は各家庭に特に戦後に入り込んだ印象があると言います。

 

配置薬業界の組合である富山県薬業連合会に併せて問い合わせてみると、戦後の1961年(昭和36年)の段階で配置薬に従事していた人の数は県内で11,685人も居たそう。この数は全国で最多だったと言います。

 

配置用医薬品(配置販売業者が扱う薬)を製造していたメーカーも富山には多く、1961年(昭和36年)の生産額は全国シェアの5割以上を占めていたと言います。

 

配置薬の従事者が使っていた道具(柳行李)。写真:富山市観光協会。

1960年(昭和30年)の段階で県内の世帯数は214,099世帯です。

 

これらの家にどれだけの配置薬が置かれていたのか正確なデータは残っていないようですが、配置薬の従事者が当時1人につき800~1,000カ所の得意先を持っていたと考えると、各家庭の置き薬の浸透はかなりのレベルであったと考えられます。

 

富山県薬業連合会の担当者も、

 

「販売業者、メーカーの従業員等の配置薬の関係者が富山県内には多く居たので、(各家庭の)配置薬についても当然、浸透していたと思われます」

 

と考えを聞かせてくれました。

 

以上の状況を考えると富山の人の暮らしに配置薬はかなり浸透していたと分かります。その救急セットのような配置薬(置き薬)の箱にどのような名前の救急ばんそうこうが入っていたのでしょうか。

 

(副編集長のコメント:次は第4回。「キズバン」の語源かもしれない配置薬〈きずぐすりばんそーこー〉について紹介します。)

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