HOKUROKU特命取材班

「受難の移民史」100年よりもっと前に南米ペルーへ渡った北陸人の話

突然ですが、ペルーって知っていますか? スタジオジブリ作品の主題歌を響きで思い出した方、それは〈テルーの唄〉です。

 

ペルーとは、南米の国の1つになります。ほとんどの日本人(編集部のメンバーを含む)が正直、なじみの薄い国ですよね。

 

でも、ナスカの地上絵とか、インカ帝国の遺跡マチュピチュとか言われたら「知っている!」となるはず。そうです。あの有名観光地は、南米のペルーにあるのですね。

 

そんなペルーと日本の歴史は意外にも長く、外交関係樹立150周年の節目に今年が当たるそうです。

 

現代の日本人の感覚からすれば、どこにあるのかほとんど分からないくらい遠くの南米の国ですが、そのような遠方の国となんと、150年も前から日本は交流を持っているのです。

 

交流をもっているどころか、今から100年近く前には、日本から(北陸からも)続々と移民が渡った歴史もあります。

 

南米移民というと、なんとなくブラジルを思い浮かべる人も居るかもしれません。しかし、日本人の移民が集団で渡航した最初の南米の国はペルーでした。

 

なんだか、すごく遠そうに見えて意外と無関係ではない国。そんなペルーとの関係を、150周年の節目に合わせて、移民の子孫たちが手掛けた書を通じ振り返る書展も今、富山市ガラス美術館5階で開催されています。その書展に関連して、

 

「そもそも移民って何?」

「なんで、日本人は、わざわざペルーへ行ったの?」

 

という質問が編集部に寄せられましたので「北陸の人も居るなら調査してみよう」と思い取材してまとめてみました。

 

現代の感覚からは正直、信じられないと思います。狭い国土で急激に増え続けていく人口のはけ口を、国家レベルで海外に求めている時代が日本にもありました。

 

一方で、食うや食わずの苦しい生活を送りながら、新天地に希望を託し、海を渡る日本人たちが、ほんの100年くらい前までたくさん居ました。要は、日本に居ても日本人が食べられなかった時代があったのです。

 

ただ「経済的に『高い』場所から『低い』場所へ流れる」が移民の原則です。海外に飛び出したところで、故郷とは異なる苦労が待っています。

 

グアムでもハワイでもカリフォルニアでもフィリピンでも旧満州国でも北海道の開拓でも、日本人の移民は苦労を強いられました。

 

さらに、ペルーに関して言えば「史上最悪の受難」「全世界の日本人の移民の中で最も苦しみぬいた」とまで言われる壮絶な暮らしが待っていました。

 

ペルーという国は、日本人以前に渡った外国人(イタリア人や中国人)もことごとく移住に失敗してきた鬼門の土地だったからです。

 

それでも、日本人たちは懸命に生き延び、後世の礎になって、ペルーの土地で、偉大な日本人社会をつくり上げました。

 

そこで今回は、日本の移民史上最大の受難を味わったとされるペルー移民の歴史を紹介します。もちろん、その中には、北陸人も居て、富山県人の82人、福井県人の195人、石川県人の2人が含まれています。

 

ぜひ、最後まで読んでみてください。「僕も、私も、もっと頑張って生きよう」ときっと勇気をもらえるはずですよ。

 

HOKUROKU編集長・坂本正敬

 

 

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