救急ばんそうこうを「キズバン」と富山の人だけが呼ぶ理由。

2020.10.30

vol. 05

元売薬の証言。

配置薬として出回っていた各種のばんそうこう。富山市売薬資料館所蔵。撮影:坂本正敬。

富山で盛んな配置薬に入った〈きずぐすりばんそーこ〉が略語の法則に従って「キズバン」と呼ばれるようになり、その略語が一般名詞になったのではないかと前回までで紹介しました。

 

しかしきずぐすりばんそーこという名前の商品が、どこまでのシェアで配置薬に入っていたのかは富山市売薬資料館の取材では分かりませんでした。

 

きずぐすりばんそーこでなくても、類似の「キズバン」的な名前の救急ばんそうこうが配置薬の中にたくさんあった事実を確認したいところです。

 

市民の共通言語になるためには豊富な接触回数が必要だからですね。

 

富山市売薬資料館に所蔵された〈きずぐすりばんそーこ〉の中身。撮影:坂本正敬。

配置薬業界の組合である富山県薬業連合会にその辺りを確認すると、同連合会の担当者が当時の様子を記憶する人を元売薬(配置員)や卸売屋の中から探してくれました。

 

1960年(昭和35年)から1961年(昭和36年)に薬売(配置員)の商売に就いていた人から、就業時に「キズバン」を扱っていた記憶があると実際の証言を得られたのです。

 

1960年(昭和35年)から1961年(昭和36年)と言えば、共立薬品(奈良)や阿蘇製薬(熊本)の製品がきずぐすりばんそーこと記されて富山の配置薬に入ってきた時期とほぼ重なります。

 

50年以上前の出来事なのに商品名を記憶しているのですから、かなりの頻度できずぐすりばんそーこ、あるいは類似の「キズバン」が配置薬の中には入っていたと推測できます。

 

しかし不幸にもこの証言者は、富山県薬業連合会の担当者から情報を得て間もなく高齢のために他界されました。

 

証言者の語る「キズバン」とは具体的に何だったのか、どのくらいの確率で「キズバン」が配置薬に入っていたのか、直接確かめる機会は得られませんでした。

幾つもの会社が「キズバン」をつくり始めていた。

実際に富山県の家庭に置かれている現代版の配置薬。

証言者の記憶しいた商品名は「キズバン」です。きずぐすりばんそーこでない理由は、時の経過の中で略語と商品名を混同している可能性がまずあります。

 

「キズバン」の略語の広まりとともに、きずぐすりばんそーこ以外にも類似の名前の救急ばんそうこうが次々と生まれ始めていたとも考えられます。

 

どちらなのでしょうか。富山県薬業連合会の担当者に取材の過程でもらった富山県配置家庭薬品目収載台帳(売薬が扱える製品の品目リスト)をよく見ると、後者の可能性を思わせる情報が載っています。

 

1990年(平成2年)の同台帳を見ると、「キズバン」という名前を使った富山の製品がこの時期には以下のようにたくさん見られます。

  • 朝日製薬株式会社(富山市太田口通り)・・・〈アサヒきずバン〉
  • 株式会社ケロリン屋本店(富山市寺島)・・・〈ビーオキズバン〉〈肌色マルトキズバン〉
  • 晴壽堂薬品株式会社(富山県上市町)・・・〈きず絆ベンリー〉〈きず絆ベンリーS〉〈きずバンA〉〈きず絆キプラ〉〈きず絆ガード〉

3社ともすでに医薬品の製造を廃業しているので製品名の由来や歴史を聞けませんでした。

 

昭和30年代ごろに共立薬品(奈良)や阿蘇製薬(熊本)の製品がきずぐすりばんそーことして富山に入ってから30~40年の間に、「キズバン」的なばんそうこうが富山の配置薬の中に目立って存在するようになった事実は確認できるわけです。

 

これだけ各社から「キズバン」的な(救急)ばんそうこうが出回っていたとすれば、市民との接触も増え、呼び方への影響もいよいよ決定的になっていくと考えられます。

 

富山の「キズバン」の呼び名については、救急ばんそうこうが「きずぐすりばんそーこ」として導入され、その略語が市民権を得るとともに類似の製品を生み、いよいよ定着していったという背景があるのだとHOKUROKU特命取材班は考えます。

文と写真:坂本正敬

編集:大坪史弥・坂本正敬

編集協力:明石博之・中嶋麻衣

取材協力:富山県厚生部くすり政策課、富山大学、富山市売薬資料館、富山県薬業連合会

この記事を書いた人

Avatar

関連する記事

オプエド

この記事に対して、前向きで建設的な責任あるご意見・コメントをお待ちしております。 書き込みには、無料の会員登録、およびプロフィールの入力が必要です。