国立工芸館の館長に聞く。北陸の工芸を巡る旅の「予習」。

2020.10.13

No. 02

好きか、嫌いか、どうでもいいか。

 

坂本:ちょっとここで、館長である唐澤さんについても聞かせてください。プロフィールを見ると、唐澤さんは愛知の生まれだと書かれています。

 

どのような経緯で今の国立工芸館の館長という立場になったのか、教えてもらえませんか?

 

唐澤:小学生のころから図画工作が大好きで、時間を忘れるくらい没頭してきました。勉強をするよりは、絵を描く時間の方が楽しかった、そんな少年時代を過ごしてきました。

 

進んだ中学校には、自分でも絵を描いているような美術専門の先生が居て、今思えば、その先生にのせられた、それに尽きると思います。

 

坂本:美術の授業で、褒められたという話ですか?

 

唐澤:はい。時間を忘れて没頭して制作し、作品を褒められる、そんな楽しさを先生から教わったと思います。

 

高校も、美術系の科に進みました。高校の中に10クラスあり、9クラスが普通科で、1クラスが美術科といった学校です。

 

坂本:早々に、美術の方に進路を取ったのですね。

 

唐澤:はい。大学も愛知県立芸術大学に進み、彫刻を学びました。

 

坂本:具体的にはどのような彫刻ですか?

 

唐澤:浮気症だったので、木を彫ったり、石を彫ったり、溶接をやったり、鋳造をやったり、乾漆をやったり、なんでもやりました。

 

坂本:最初は、つくる側だったのですね。どうしてその唐澤さんが、見る側というか、作品を収集し、展示に、解説し、批評する側に回ったのでしょうか?

 

唐澤:大学の学部を出た後、今で言う大学院の博士課程にも進んで、その後には非常勤講師もやってと、結局大学に8年半くらい在籍していました。

 

やはり、彫刻は続けるためには場所と道具が必要です。石を彫ろうと思うと、やはりきちんとした環境がなければ、創作活動を続けられないのですね。

 

それで、ずっと大学に居たいと思っていたのですが、ある日、担当の教授から「愛知県陶磁美術館が現代陶芸の学芸員を探している」と言われました。

 

この言葉を言われた時、「もう、大学に残れないぞ」と宣告されたような気になりました。

 

表現者としてここまでだと教授が言いたかったのか、自立して活動をしろと言いたかったのかは、今となっては分かりませんが。

 

坂本:それで、就職を機に制作をやめたという話でしょうか?

 

唐澤:いえ、愛知県陶磁美術館(当時は愛知県陶磁資料館)の学芸員として採用された後も、最初のころはグループ展で活動もしていましたし、公募展にも出していました。

 

しかし、学芸員として展覧会を担当するようになり、作家さんの仕事場を周り始めると、自分が「こんな風につくりたい」「こんな風につくれたらいいな」と思う形や質感が、もう目の前に存在しているわけです。自分の力量のなさを思い知らされました。

 

一方で、現前の作品を多くの人に紹介する方が、自分の歩んできた人生が世の中に還元される、世の中のプラスになると思うようになりました。

 

それで制作をやめて、自分が見出した、見つけ出した物を世に広める仕事に、シフトしていきました。

 

坂本:そんなにすんなり、やめられるのですか?

 

唐澤:もちろん、すんなりは、無理です。だんだんです。

 

坂本:そして、ここにたどり着いたと。

 

唐澤:そうですね。愛知の美術館に11年半居て、その後、東京の工芸館に来たので。

 

しかし、結果として自分で手を動かして作品をつくってきた経験が、今はすごく役立っています。

 

 

素材の話とか、技法技術の話とか、作家さんと話をしていても、本当のとんがった部分は分からないですけれど、なんとなく話が分かります。

 

机上だけではなく、実際に創作をしっかり体験してきた人生は、今になって見れば、本当にラッキーだったなと思います。

最初は色とか形にしか反応ができないと思います。

国立工芸館のエントランス正面の中庭にある金子潤さんの陶芸作品。

坂本:その愛知県陶磁美術館時代だと思うのですが、唐澤さんはある展示会で、「工芸は好きか、嫌いか、どうでもいいか、この3つの基準で楽しむといい」と発言しています。

 

唐澤:ああ、はい。よく、ご存じですね。

 

坂本:今回の取材のテーマは、北陸3県の工芸を巡るマイクロツーリズム(小旅行)です。

 

北陸各地の工芸の産地に訪れ、工芸と向き合った時、どのように楽しめばいいのかという問題があると思います。

 

この唐澤さんの言葉がとても参考になってくると思うのですが、あらためてこの言葉の真意を教えてください。

 

唐澤:初めて見た作品なり工芸品なりを、毎回解説を聞きながら、解説を読みながら、見たり触ったりできるわけではありません。

 

何も説明がない、お墨付きがない状態では、自分の価値判断で評価するしかありません。

 

 

そこで「好きか」「嫌いか」「どうでもいいか」、自分がどのように反応したかを大切にしてほしいと思います。

 

ただ、「好きか」「嫌いか」「どうでもいいか」だけで終わらせてしまうと、単なる自分の感情になってしまいます。

 

好きだと思ったら、なぜ自分が好きなのか、嫌いだと思ったら、なぜ、この作品が自分は駄目なのか、理由を考えてほしいです。

 

坂本:「嫌い」と「どうでもいい」はどう違うのですか?

 

唐澤:どうでもいいは、何も感じない状態です。何かを語ってくださいと言われても、何も声が出ない状態と言いますか。

 

坂本:恋愛でも、好きな人に嫌われるより、無関心でいられる方がつらいみたいな話を聞きますよね。

 

では、「どうでもいい」場合は、どうするのですか? どうでもいいから、スルーをすればいいのでしょうか?

 

唐澤:「どうでもいい」が実は一番大事で、意識の中でどうでも良かった作品を、とっておいてください。

 

「あの時何も感じなかった」と、記憶しておきます。

 

その蓄積を持ったまま工芸を見続けていると、何かのきっかけで、そのどうでも良かった物が、好きか嫌いかに動いてきます。

 

どうでもいい工芸が好きか嫌いかに入ってきたら、またその理由を考える。

 

その繰り返しで、最初は色とか形にしか反応ができなかった自分の見方が、広がっていると実感できるはずです。

 

坂本:その見方を、唐澤さんも続けてきたのですか?

 

唐澤:実際に、自分もそうやってきました。

 

 

坂本:いつからやってきたのでしょうか?

 

唐澤:大学で彫刻をやっている時、のみで手をけがして、半年ほど作品をつくれなかった時期がありました。

 

その間、大学の図書館で彫刻の作品集を片っ端から借りて、好きな物、嫌いな物を記憶し、今度はこれをやってみようと積み重ねてきました。

 

坂本:その文脈で行くと、工芸を楽しむにあたって、予習はなくてもいいと解釈できそうです。今回はこの特集のタイトルに「予習」と入っていますが。

 

唐澤:予習は必要ないと思います。見た時、自分に正直になってください。

 

坂本:何度も大衆的な具体例に引き寄せて申し訳ないですが、この話はカレーライスが好きというだけで終わらせるのではなく、「なんで自分はカレーライスが好きなんだろう?」と突き詰めて考える、そういう話ですよね。

 

唐澤:その通りです。

 

坂本:作家の工芸の場合、展覧会に行けば、いろいろと解説が書いてあります。その場合も、解説文ではなく、まず物を見た方がいいのでしょうか?

 

唐澤:はい、まずは物を見たいですね。ただ作家の工芸だと、物を見る前でも、見た後でもいいですが、タイトル(名称)には注目した方がいいかもしれません。

 

坂本:どうしてでしょうか?

 

唐澤:名称には素材だったり、技法だったりが書かれているからです。

 

例えば、茶わんの「わん」の字も、石偏の「碗」、木偏の「椀」があります。

 

その漢字の違いを見ただけで、前者の「お碗」は、焼き物の作家がつくったおわんだろうと、後者の「お椀」は、漆の作家がつくったおわんだろうと、見立てができるようになります。

 

越前漆器のおわん(椀)。写真提供:福井県観光連盟。

坂本:なるほど、本当ですね。漆は木のおわんに塗るわけですから。

 

唐澤:陶芸になると、今度は「盌(わん)」という字も出てきます。筒のように立ち上がったお皿を、「盌」と呼ぶからです。

 

磁器も一緒で、磁器の「磁」もあれば、「瓷(じ)」という字もあります。

 

石偏の「磁」と書かれている作品は、ボディーが恐らく磁器です。「瓷」の場合は、ボディが恐らく陶器です。

 

例えば白磁をつくる作家が、自分の作品の名称に白磁ではなく「白瓷」と書いていたとします。

 

「どうしてですか?」と作家に聞けば、「自分の場合は、ガラス化するまで焼き固めないで、少し手前で焼きを止めて、柔らかさや温かみを出している。だから白磁ではなく、白瓷と表現します」などと答えが返ってくるはずです。

 

「好き」「嫌い」「どうでもいい」の理由を突き詰めていくと、そのうち学びも深まって、このように名称にも反応できるような自分が育っていきます。

 

そうした育ちを実感できれば、工芸の鑑賞が楽しくなりますし、また次の作品、次の産地に足を運んでみようという気にもなると思います。

 

坂本:大変、勉強になりました。

 

(編集部のコメント:最初は形や色を見て、好きか嫌いかどうでもいいかで分類をする。

 

その繰り返しが、工芸に対する価値判断を育てるきっかけになってくれるのですね。

 

次は、工芸を使う楽しみについて話が進みます。)

素地が焼き締まってガラス化した焼き物。

純白の磁器。

この記事を書いた人

坂本 正敬

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