批評的な表現をカジュアルに喜劇的に
次に登場する人は〈HOKUROKU〉でもたびたびお世話になっている建築家の小津誠一さん。
「考える技術」の特集では「アート思考」について教えてもらい、「ローカル・ウェブマガジンレポート」の連載では金沢のウェブマガジン〈real local 金沢〉の代表としてインタビューにも答えてくれました。
関連:HOKUROKUの「考える技術」を読んで人気の建築家が考えた話(アート思考編)
金沢を中心に北陸各県で建築・飲食・不動産・メディア運営など八面六臂(ろっぴ)の活躍をする方です。
小津さんの事務所へ取材で訪れた際には膨大な書籍の山も目にしました。古今東西の教養をすき間なく分厚く備えている印象を受けます。
そんな小津さんは暮らしの中でどのような愛用品を使っているのでしょうか。
「いまも音を奏でる笛吹湯飲み」小津誠一(建築家)
上出長右衛門(かみでちょうえもん)窯の〈湯呑 笛吹〉
「九谷焼窯元の6代目・上出恵悟さんとの出会いがきっかけで使うようになりました。長右衛門窯が60年描き続けている笛吹の湯飲みです。
オーソドックスな白磁に青で笛吹楽人が染め付けられたものですが、笛が楽器になっていたり、ラジカセやレコード、スケートボードになっていたりと、伝統的なモチーフにサブカル的な要素が加わったバリエーションをオフィスの接客用の湯飲みとして使っています。
それに気付いた人をニンマリと笑わせてくれるところが好きです。
あえて深読みするなら批評的な表現を、カジュアルに喜劇的に表現している態度がふに落ちるとでも言えばいいでしょうか。」
「白磁ってなんだ?」
純白の焼き物(磁器)に透明なうわぐすりをかけた器の総称だと〈日本大百科全書〉(小学館)に書かれています。
そもそも磁器とは陶器と違って砕いた陶石を主な原料に使った焼き物で、ガラス化した純白の器を意味します。一方の陶器は粘土を主な原料に使った焼き物ですね。
教えてくれた人
小津誠一(こづ・せいいち)さん
E.N.N. co.,ltd.代表・嗜季代表。1966年(昭和41年)金沢市生まれ。美術大学で建築を学び、東京や京都などを経て、2012年(平成24年)より金沢へUターン。現在はe.n.n.architects(建築設計)・金沢R不動産・real local(ローカルメディア)・流寓(飲食店)などのチームを率いて活動中。公式ホームページ(https://enn.co.jp/)
上出長右衛門窯の湯呑 笛吹ってどんな湯飲み?
“長右衛門窯が60年描き続けているモチーフの「笛吹」の太鼓型の湯呑みです。堅苦しくない自由な笛吹は使う人に話題を提供出来る遊び心の原点となっています”(上出長右衛門窯の公式ホームページより引用)
つくった人たち
上出長右衛門窯
1879年(明治16年)石川県能美郡寺井村(現石川県能美市寺井町)で創業。先人の伝統を守る昔ながらの手仕事で日々の食器から茶陶までを以来つくり続けている。鮮やかな上絵付け³と深い発色の染付け、丈夫で美しい生地が特長。
九谷焼の産地をもうちょっと詳しく
前回の多田邦彦さん、池森典子さん、今回の小津誠一さんと九谷焼の道具や日用品を愛用している人が目立ちました。
北陸の人たちが大好きな九谷焼とは一体どういった焼き物であり、どういった産地でつくられているのでしょうか。
簡単な説明を前回も加えましたが、もうちょっとだけ今回は深くおさらいしてみましょう。
加賀の支藩である大聖寺藩の初代藩主・前田利治が江戸時代の1655年ごろ、領内の九谷郷(現在の石川県加賀市の山間部)で鉱山を開発中に良質の陶石を発見したところから九谷焼の歴史が始まります。
鉱山開発に取り組んでいた担当者に命じて有田(現在の佐賀県西部にある有田焼の産地)で製陶を学ばせ、その技術を持ち帰らせて九谷に窯を築いたのですね。
この歴史から学ぶべきポイントの1つは、九谷郷の山間部で発見された陶石の存在です。
陶石とは磁器づくりに用いられる主な原料です。九谷焼は磁器です。磁器と陶器は似たような言葉ですが、磁器は「いしやき」と言うように砕いた陶石を主な原料として高温で焼いてつくります。
陶石でつくる磁器の九谷焼は素地が焼きしまりガラス化しているため、純白の器を爪先で弾けば高い金属音が鳴ります。
その純白の「キャンバス」に絵付けする九谷焼は「色絵磁器の最高峰」とも言われています。
一方の陶器は陶土と言われる粘土を主な原料とします。爪先で弾けば低く鈍い音が響きます。
1655年ごろに陶石が見つかった九谷の磁器づくりは100年もたたずに一度途絶えますが、1807年(文化4年)に加賀藩が京都から青木木米(あおき・もくべい)⁴を招いて、金沢の春日山 (現在の金沢市山の上町)に窯を開かせます。
その出来事をきっかけに多くの窯が加賀藩と大聖寺藩一帯に開かれ、明治・大正・昭和・平成・令和と継承されていくのですね。
陶石の発見とともににわかに誕生し間もなく途絶えた九谷の窯を「古九谷」、1807年(文化4年)以降に再興された九谷の窯を「再興九谷」とも呼びます。
このあたりの知識を持って九谷焼に触れたり産地を訪れたりすると、また見え方や味わいが違ってくるかもしれませんね。
(編集長のコメント:ハリウッド映画の始まりで表示されるワーナー・ブラザーズや20世紀フォックスのロゴを現代の映画人たちが敬意を払いながら現代風にアレンジを加えている様子を目にします。
歴史と伝統に敬意を示しながらも新しい感性を笛吹の湯飲みに加える遊び心に同じような姿勢を感じました。実にいいですよね。
次は、後編の最後、福井で活躍する画家でありディスプレイコーディネータと山中温泉で和酒バーを経営する日本酒の専門家が日ごろ愛用する日用品が登場します。
最後までチェックしてみてくださいね。)
4江戸時代の絵師であり京焼の陶工。
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