イナガキヤスト × 大木賢の「バズる」写真論

2020.07.07

第2回

加工した写真をどこに発表するか

撮影:大木賢

―― イナガキさんは撮影現場に足しげく通うとも耳にしています。

 

人の心を動かす写真を撮るためには、その場所・土地・人物など被写体に対する深い理解がやはり不可欠なのでしょうか?

 

例えば、富山県高岡市の雨晴(あまはらし)で撮られた有名な写真については100回くらい現場に通ったと何かの記事で読みました。

 

 

イナガキ:100回って言ったかな~。ちょっと記憶にないです(笑)

 

―― 少なくとも1回だけ行って、その場で撮って終わりという話ではないですよね。

 

イナガキ:はい。数十回は行っています。

 

―― この写真にしても、女岩(おんないわ・めいわ)があり立山があり、さらに〈富山きときと空港〉に着陸する飛行機まで入っています。

 

初めてこの場を訪れた旅行者には、この構図の中に飛行機が通ると想像もできないはずです。

 

そうなると逆に、イナガキさんが海外の政府観光局から招待され、いきなり南の島に連れて来られて「さあ『バズる』写真を撮ってください」と言われたら撮れるのでしょうか?

 

イナガキ:なるほど。どうなんでしょう。

 

大木:土地に対する理解はとても大事だと僕は思います。初めてバズった高岡の写真を撮影したときは「このアングルしかない」という場所を試行錯誤しながら徹底して考えました。プロとして経験を積んだ今ならぱっと判断できますが。

 

 

アングルが決まってからも構図固定で日没前後の1時間撮りまくっています。場所に対する理解は重要だと思います。

 

イナガキ:僕の場合は、技術とセンスがないという点が一番なのですけれど、とりあえず同じ場所へ行って何回もシャッターを切ります。

 

 

なんとなく「いいかな」と思った被写体はとりあえずカメラを向けて撮ります。例えば、立山連峰って単純にすごいじゃないですか。なのでまずは構図に入れてみる。その上で、立山の雄大さを表現するために全体が映るように撮ったり、壁のような存在感を表現するためにあえて山頂を切ってみたり。

 

撮りまくって幸運にも奇麗に撮れた写真があればそれを選んでレタッチします。

 

―― レタッチの話が出ました。フォトレタッチとも呼ばれる写真や画像データの編集作業ですね。編集して写真の見栄えをよくする・加工する作業とも言えます。加工はするのですか?

 

イナガキ:写真によって程度は変わりますが彩度などは調整します。

 

―― 一番「いじったなあ」と思う写真はどれになるでしょうか?

 

イナガキ:これです。

 

 

(一同、歓声を上げる。)

 

大木:うぉー、すげー。

 

―― 有名な撮影スポットですよね。このアングルから撮る方はたくさん居ますがイナガキさんほど「バズる」人はなかなか居ません。

 

イナガキ:これを撮るまでに10回くらい現場へ通いました。気に入った場所があれば何回も通いますし、通いながらも毎回の撮影で撮れた写真を見返し反省をもってまた行きます。

 

とにかく僕は、積み上げていかないと何も撮れません。その上で、いい写真が撮れたら「うわー、これ、すごいな」と感じてもらえるくらいにレタッチします。

 

大木:同じような感じで僕もレタッチしていました。「バズる」って考えていては駄目だと思います。皆さん直感で反応しますから。

 

―― それだけ苦労を重ね、時間を掛けているのであれば、撮影者としては「バズる」と単純にうれしいのでしょうか?

 

イナガキ:自分の写真に多くの方が反応してくれる事実はただただ感謝しかありません。

 

―― とはいえ、あえて失礼な質問をします。例えば、世の中には極端な加工・派手なレタッチを邪道と考えるプロの写真家やフォトグラファー、カメラマン10が居ます。

 

普通の人にとっては「スマホ」で撮影した写真を加工してSNS(会員制交流サイト)に投稿するなど当たり前だと思います。しかし、その行為をプロの世界に持ち込むと厳しい風当たりが生じる場合もあるはずです。

 

「五箇山にはこんな美しい風景があるのか」と、この写真を見て思って訪れた人が居たとすれば、問題だとの考え方もあるからです。実際問題としてこの風景は五箇山に存在しません。この点についてはいかがでしょうか?

 

イナガキ:批判的な声は確かにあります。最初は喜んでもらえた写真も、多くの方が見るようになって批判も増えました。なので最近は、好きな写真を好きに投稿するのではなく見る人の気持ちも考え始めました。

 

―― 大木さんはいかがでしょう?

 

大木:奇麗で分かりやすい写真を一時期たくさん僕も撮っていました。海外の写真投稿サイトにそれを載せたとき「この写真のどこが良いの? 加工してるだけじゃん」みたいなコメントを受けた経験があります。

 

すごく反応的にその時はなりましたが、批判する側の気持ちも今では分かります。なぜなら、自分の昔の写真を見て「加工しすぎだ」と僕自身が思いますから。

 

―― 大木さんの作風が変化したのですね。

 

大木:自分で撮った写真の「色」にしかその当時は興味なくて、とにかく色が美しくなるように加工をたくさんしていました。まあ、そういう路線で撮っていくとバズるんですよね。実際。

 

かつて力を入れていた作風の写真

問題は、この手の写真をどこに発表するかだと思います。

 

加工した写真を撮って観光情報誌や観光情報サイトに掲載する行為はきっと許されません。情報の伝達だと受け手が思って写真を見ているので、加工した写真を本物と思ってしまうからです。

 

しかし、イナガキさんはご自分の写真をSNSである種の表現として掲載しています。一種の表現・アートとして見れば加工して彩度を調整したり色を調整したりしても問題ないと僕は思います。

 

 

写真には、情報伝達の側面もありますし、アートだとか表現の側面もあります。日本語の「写真」は「真実を写す」になっているので、その語感に引っ張られて真実を正確に写す役割が意識されすぎているのかなと思います。

 

英単語のPhotograph(写真)の「Phot」は語源が「光」11です。

 

この「Phot(光)」に「graph(描く)」が重なって「光で描く=写真を撮る・写真」になりました。真実を写せなんて語源には含まれていません。

 

一部の「先生」や「批評家」はSNS写真を鼻で笑います。しかし、それは同時に写真に「いいね」をしている人たちを「ディスっている12」形にもなるんですよね。

 

SNSの写真に救われる人も間違いなく存在しています。写真が広く見られれば、それはそれで素晴らしい影響もあると思います。

 

副編集長のコメント:現実以上に「迫力」ある写真について第3回は続きます。)

富山県高岡市の雨晴海岸から見える岩。

富山県南砺市にある世界遺産の五箇山・相倉集落。

10 写真業界ではカメラマン=専門的な技術を駆使して依頼者のオーダーに応えられる人、フォトグラファー=専門的な技術を持ちながらも自身の感性を全面に出す人、写真家=芸術家・自身の表現を追求する人と分類される傾向がある。

11 「phas(光)」が変化して「phot」になる。「phas」はギリシア語の「phasis」に由来し、星の光・光・光の影という意味。

12 批判をする・文句を言うの意味。

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