「発酵食品」との出合いは北陸の魅力と出合う近道だった

2022.11.26

第4回

生きた「おすしミュージアム」

 

(北陸の発酵文化のエリアを歩き、すしを紹介する展示の前へ小倉ヒラクさんと武井は向かう。)

 

ヒラク:次は、北陸の発酵エリアで展示している、北陸で発展したおすしを紹介します。

 

 

―― 「北陸で発展した」とはどういう意味でしょうか? すしは、全国的な食べ物だと思いますが。

 

ヒラク:ほとんどの人が「すし」と聞くと新鮮な魚を握った食べ物をイメージすると思います。ですがそれは新しい文化です。

 

もともとおすしは発酵食品です。魚とお米を一緒に漬け込んだ酸っぱい食べ物が原型です。おすしは、その歴史の大半を「漬物=発酵食」として過ごしてきました。

 

―― え、そうなのですか?

 

ヒラク:江戸時代までおすしは「握る」ではなく「漬ける」だったのです。

 

会場には、回転ずしをイメージした展示も。北陸は、回転ずしのチェーン店が一番多い地域。皿も、北陸(主に福井)でつくられているケースが多いそう

 

すしの原型となった食べ物はなれずしです。なれずしとは、シーズン中に大量に捕れる魚介をお米と塩と一緒に漬けて半年から1年かけて乳酸発酵させる食べ物です。

 

生まれた場所は、ミャンマーやタイなど東南アジアの山岳地帯だと言われていますが、魚のタンパク質とにおいが全く変わるので、初めて食べると予想できないおいしさに驚かされます。

 

そのなれずしもお酒と一緒で、今から1000年くらい前の平安時代ごろに日本に定着し、大陸とは違う発想で進化を遂げました。日本では、神様への供え物となります。

 

そのなれずしは、それぞれの土地にあった魚種のバリエーションを生み出し、近世(主に江戸時代)になると、日本型のおすしカルチャーが独自の進化を遂げていきます。

 

その鍵を握る存在が麹(こうじ)です。

 

―― また、さっきの話に戻るのですね。日本食の基礎に麹(こうじ)がなっているという。

 

ヒラク:米麹(こうじ)を使って魚介を漬け込み、日本人の口に合う繊細なおすしが生まれます。そのおすしを「いずし(飯寿司)」と呼びます。石川・富山のかぶらずしもいずしの一種です。

 

長期間仕込み・長期間保存できる、激烈にしょっぱくて酸っぱい、ハードに乳酸発酵させたなれずしから、より洗練された味わいのいずしが生まれました。

 

さらに、江戸後期の18世紀になると、僕たちの知るおすし(江戸前ずし)が登場します。

 

 

塩も米も麹(こうじ)も使わないで「酸っぱさ」を酢で表現する、フレッシュな魚介のうまみを押し出した、日本食を代表するグルメなファストフードの誕生です。

 

北陸に目を向けると、米と塩で乳酸発酵させたサバのなれずし(福井)があって、麹(こうじ)を主体に甘酸っぱく漬け込むかぶらずし(石川・富山)があります。

 

回転ずしのチェーン店が全国的に見ても一番多いくらい北陸各地でおすし(江戸前ずし)が食べられています。

 

小鯛ささ漬。写真提供:小倉ヒラク

 

さらに言えば、保存性と魚介の新鮮さを両立したすしもあります。新鮮なタイを塩漬けし、酢・昆布などブレンドした漬け液に漬ける〈小鯛ささ漬〉(福井)です。

 

 

いわば、保存性の高いいずしと、フレッシュな魚介を使う江戸前ずしを両立させたような中間的なおすしです。

 

そうした背景知識を踏まえて北陸を見ると、おすしの発展過程が全て残っている、生きた「おすしのミュージアム」としての姿が浮かび上がってきます。

 

―― すごい話ですね。北陸のおすしをこの視点でとらえている人はなかなか居ないのではないでしょうか。

 

〈発酵ツーリズムにっぽん/ほくりく〉を北陸で開催しようと思った理由に、おすしの話も一部影響しているのでしょうか?

 

ヒラク:もちろんです。関係者の皆さんと工夫して、回転ずしをイメージした展示コーナーも会場に用意したくらいですから。

 

「発酵茶を点てる」アヴァンギャルドな文化

(北陸の発酵文化エリアにあるすしの展示から小倉さんと武井はさらに別の展示へ移動する。)

 

ヒラク:最後にもう1つ、北陸らしい変わった発酵食品をご紹介します。

 

富山県の東側にある蛭谷(びるだん)集落で飲まれている〈バタバタ茶〉で、発酵させたお茶になります。

 

 

―― 名前は知っていますが、飲んだ経験はありません。

 

ヒラク:バタバタ茶は、硬くなった古い茶葉を微生物によって発酵させ、葉の中に閉じ込められたうま味を引き出しています。キノコのようなまろやかなコクが味の特徴です。

 

茶道は、武士や貴族など上位階級で盛んになった文化です。そのため、高級なお茶が伝統的に使われてきました。

 

一方で、隠されたお茶の文化として日本には農家が楽しむ発酵茶があります。残念ながら、日本の伝統としては無視されてきた文化ですが。

 

写真は、インバウンドツアーの参加者に対して、バタバタ茶を解説している様子

 

その無視されてきた発酵茶の文化が富山県の朝日町には今でも根付いています。

 

「バタバタ茶会」という、山村のカジュアルなお茶会があって、集落の人たちが毎日集まり、バタバタ茶を点てながら楽しく話に花を咲かせるのですね。

 

そもそもバタバタ茶とは、バタバタと茶せんを振ってカプチーノみたいにして飲むから「バタバタ茶」と呼びます。

 

 

 

浄土真宗の僧がこの地へ布教に訪れた際に、村人に話を聞いてもらうためにお茶会を催したとかで、中国の宋から渡ってきた「禅の茶」、言い換えれば茶せんで練り上げる点茶の茶会を開きました。

 

そのうち、高級な抹茶から、山村のローカル茶である発酵茶が使われるようになり、中国茶道でも見ない「発酵茶を点てる」アヴァンギャルド10な文化が生まれました。

 

このバタバタ茶会は、仏教の教えを、講義ではなくお茶会で伝えようとした実践の場としても機能していると思います。

 

皆が楽しめるお茶会の実践を通して、お茶会の型が何代にも渡って伝達されています。その裏側には、仏教の教えを隠しているので、結果として、型を通じて教えも伝達されているのかなと、お茶会に参加した時に思いました。

 

富山県朝日町の〈バタバタ茶伝承館〉で体験もできるのでぜひ体験してみてください。

子どもに楽しめる仕掛けがいっぱい!

番記者のようにヒラクさんに張り付いてインバウンドツアー客向けの解説に聞き耳を立てる話はここまで。

 

再び〈HOKUROKU〉武井です。

 

ここからは、インバウンドツアーで立ち寄らなかった発酵サイエンスのエリアを私・武井が補足します。

 

  1. 全国の発酵
  2. 北陸の発酵
  3. 発酵の科学(酵素の働き)

このエリアは、天野エンザイム株式会社というバイオテクノロジー企業とコラボした展示エリアになります。

 

発酵の科学の展示エリアの様子

 

酵素の働きがどうやって作用しているのかデザインするために、世界的なアーティストであるポール・コックスさんのイラストをメインに展示しています。

 

堅苦しくないので、子どもの自由研究としても充実したコンテンツだと思います。

 

他には〈見えないもので世界はできているの歌〉という某教育番組のような歌とダンスで酵素の働きを説明しているコンテンツもあります。

 

インバウンドツアー客のほとんどの方が何かしらの商品を購入していた

 

展覧会で展示されている食品を含めて発酵食品を販売する東京の〈発酵デパートメント〉のポップアップショップも会場内にあります。

 

全国から厳選された約200点の発酵食品がその場で購入できます。

 

本展は、2022年(令和4年)12月4日(日)まで〈金津創作の森美術館〉でやっています(この特集は広告案件ではないですよ!)。

 

北陸の人にはなじみ深い食品がすごく分かりやい形で展示解説されていますので、発酵文化や発酵食品をもっと好きになれるはずです。

 

また、この発酵食品の理解と学びこそ、北陸の魅力を北陸人が語る際の強力な武器になってくれると感じます。

 

なにしろ、小倉ヒラクさんの言葉どおり、大きな港にも、小さな港にも、それこそ山間に至るまで、発酵食品の文化が北陸には根付いていて、その発酵食品が、北陸の良さを伝える体験型ツールになってくれるからですね。

 

「本展覧会は、子どもにも飽きずに楽しんでもらえる展示を目指しました!」とヒラクさんも言っていました。お子さんへの「食育」にもぴったりのはず。

 

ご家族でぜひ。

 

編集長のコメント:もともとすしが発酵食品で、北陸にはその進化の過程が全て現存しているとは、びっくり仰天の話でしたね。

 

発酵食品は関係ないですが、回転ずし店の皿も福井を中心に北陸で盛んにつくられているとは驚きです。なんだか、お皿についても取材してみたくなりました。

 

これで、発酵に関するお話はおしまい。とにかく、日本の発酵の基礎は麹(こうじ)らしいです。

 

麹菌と麹の関係をおさらいしつつ、自宅にあるしょうゆだとかみそだとか日本酒だとかが、麹(こうじ)との関係でどのようにつくられたのか、その辺の調査から初めてみると、暮らしの見え方がぐっと深まっていくかもしれませんね。

 

そのぐっと深まったまなざしで北陸の魅力をとらえ直し、北陸人がまずは北陸を楽しんで、その楽しさを今度は外に発信していければと思います。

 

会期は12月4日(日)まで。駆け込みで私も行ってみよっと。)

 

文・写真:武井靖

編集:坂本正敬・大坪史弥

編集協力:明石博之

 

滋賀県東近江市蛭谷から富山県朝日町へ400年ほど前に移住した人々が故郷の名を取って「蛭谷」とした。和紙の産地としても知られる。

10「既存の通念を否定し未知の表現領域を開拓しようとする芸術家・芸術運動」〈広辞苑〉より引用

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