しっかり語順を並べれば読点は要らない
―― 宮城さんから読点の歴史について解説がありました。
読点(、)の教えが放置状態だと明確に分かりましたが、この特集ではあいまいな読点の使い方にロジカルなルールを定める狙いがあります。
そこで、堀さんに質問なのですが、仕事として文筆を突き詰めてきた堀さんは、どのようなルールで読点を日々扱っているのでしょうか。
もともと堀さんは新聞記者です。新聞記者が参照する〈記者ハンドブック〉にも読点(、)の打ち方が書かれています。
共同通信社版しか私は持っていないので他社の内容が分からないのですが、共同通信社版には読点について4カ条3が書かれています。
その中で、最も実戦的だと感じる記述は「なるべく20文字以内(に読点を1回打つ)」です。
1まとまりとして視覚的に入ってくる文字のまとまりは平均して20文字くらいが落としどころだと感じる部分もあるからです。
堀さんはいかがでしょうか?
堀:私自身は、読点(、)や句点(。)を割とロジカルに考えています。
そのベースには、本多勝一4さんが〈中学生からの作文技術〉(朝日新聞出版)で書いた読点に関する考え方があります。
撮影:武井靖
本多勝一さんは、元朝日新聞社の記者です。思想的には賛否両論が生まれそうな人ですが、本多さんの提唱するロジカルな点(、)と丸(。)に関する考え方には大変影響を受けました。
谷崎潤一郎や三島由紀夫の〈文章読本〉もそれまでに目を通していたのですが、情緒的な問題としてそこでは読点が扱われている気がしました。
しかし、本多勝一さんは、あいまい性を排除して読点(、)の使い方をルール化しています。
本書の第3章に書かれた「テンやマルのうちかた」については新聞記者時代から参考にしてきましたし、うちの社内でも参考図書として「1回は読んでね」とスタッフには言っています。
―― 具体的な内容を教えてください。
堀:読点(、)の打ち方については大事な前提があります。本多勝一さんはそもそも「語順をしっかり構成すれば点・丸(句読点)は要らない」との立場です。
極言すれば「余計な点は打つな」です。意味を正確に伝える目的を持った分かりやすい文章に読点(、)が無駄に多いのであれば、その文章はそもそも語順が間違っているとの話でもあります。
その上で逆に、文中で打たなければいけない読点も明らかにしていて、その原則も示しています。
“第一原則 長いかかる言葉が二つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。
第二原則 原則的語順が逆順の場合にテンをうつ(第二原則)”
(〈中学生からの作文技術〉(朝日新聞出版)より引用)
「長い掛かる言葉」だとか「原則的語順」だとかの詳細は本を読んでもらわないと伝えきれないのですが、このルールに私自身も準拠して普段から文章を書いています。
〈中学生からの作文技術〉(朝日新聞出版) 撮影:坂本正敬
―― 正しい(原則的)語順の文では「余計な点を打つな」との話がありました。逆に、絶対に打たなければいけない読点に関する2大原則もあるとの話です。
これらの教えはとても重要なので、HOKUROKUでコンテンツ化する際には、該当箇所を整理した文章をあらためて用意したいと思います(※編集部注:第4話を参照)
堀:もちろん意図して決まりを破り、著者の考えを託す自由な読点(、)を打っても構わないと、本多勝一さんは本の中で書いています。しかし、あくまでも、読点の基本を理解した上での話です、
―― ルールを知りながら意図して決まりを破った読点と、ルールを知らないまま自由に打つ読点では意味合いが全く違うのですね。話を整理すると、
- 正しい(原則的)語順の文に余計な読点は打たない。
- 打たなければいけない読点は2つのケースのみ。
- 以上の基本を知った上であれば「余計な」点を自由に打ってもいい。
という感じでしょうか。
堀:例えば、
「僕は話をした。」
という文章があるとします。語順の並びも主語「僕は」→述語「話をした」とストレートで逆順でもありません。
僕は→
「話をした。」
「僕は」が「話をした」へ真っすぐに掛かる正しい語順の文なので、読点(、)を打つ必要がないわけです。繰り返しになりますが正しい語順の時は「打つな」です。それでも、
「僕は、話をした。」
と読点(、)をあえて打つのであれば、この切り出した文節(僕は、)に、何か特別な意味を持たせたり、考えを託したりしなければいけません。
思想の最小単位である「僕は、」を切り出して特別に強調したい理由があるならば点を打てばいいし、意味がないならば惰性で点を打ってはいけないとの意味です。
―― この本多勝一さんの句読点論について宮城さんはいかがでしょうか?
宮城:本多勝一さんが卓見だなと思うのは「ここに打て」ではなくて「打つな」の方向なのですよね。
これまでの句読法案などの議論は「○○の状況が来たら打て」の視点でした。
しかし、本多勝一さんの場合は基本「打つな」であり、打つなら「どうしても打たなければいけないところに打て」の議論です。
その意味で、本多勝一さんの考えによって読点に対する認識が大きく転換しているのだと思います。
(副編集長のコメント:誤読のない明快な語順の文章が書ければ究極読点は必要ないわけですね。文章とデザインは近い関係にあるのだなと感じます。
正しい語順の文章については第4話にまとまっていますが、その前に次は第3回。読点のない明快な並びの文章をいきなり書けるようになるのか、その辺の話に続きます。)
2、語句の列記には読点を打つ。
3、誤読、難読を避けるため読点を使う。
4、誤読、難読の恐れのない場合は、原則として読点を打たない。
4 本多勝一(ほんだ かついち)プロフィール
1932年(年)生まれ。日本のジャーナリストで元朝日新聞記者・編集委員。著書多数。
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