新・文章読本。分かりやすく美しい「読点」の作法。

2021.07.02

vol. 03

スティーヴィー・ワンダーの気持ちがちょっとだけ分かる。

 

宮城:ただし本多勝一さんの理論で日本中の読点が解決するかと言えば違うと思います。

 

まず本多勝一さんの話を学校教育で小学生の全員に理解させようと思ったらかなり難しいと思います。

 

もちろん将来的には本多さんの考える方向性にシフトできればいいと思いますが、教師ができるサポートは感覚を示したり、手本になる文章を紹介したりといった部分に限られると思います。

 

坂本:同じ指導を受けても、すぐに読点(、)の要点を理解する子どもと、そうでない子どもも居そうです。

 

宮城:私の直感ですが、読書量の多い子どもは奇麗な読点(、)を早く打てるようになると思います。

 

それも偏った内容ではなく新聞だとか小説だとかいろいろなジャンルの文章を読む子どもほど、読んでいるうちに「この辺に打てばいい」と分かってくると思います。

 

坂本:これは大人の学びにも通じる部分がありそうですね。具体的にはどのように変化していくのですか?

 

宮城:読書量の多い子は低学年のうちはたくさん読点(、)を打っていたけれど、自然に減っていく傾向にあると思います。調査はしていないですが。

 

なぜかと言えば似たような例で接続詞も慣れてくると子どもたちは使わなくなっていくからです。

 

習いたてのころの子どもってすごくたくさん接続詞を使うのですけれど、学年が進んでくると極端な例を言えば逆説とか転換以外の接続詞はほぼ使わなくなります。

 

接続詞は読点(、)と同じで休止の役割を果たします。

 

順説で論理的に流れているのであれば、読点(、)を打たない方がスーッと文章が流れて読みやすいのです。

 

将来的にはそうした背景が分かった上で、本多さんの言うように無駄には打たず、打つなら打ちたいところに狙って打てるスキルが身に付けられればいいのでしょうね。

読点をできるだけ乱発しない。

 

坂本:今までの話を総合すると読点(、)には「いかに打つか」の議論と「できるだけ打つな」の議論があると分かりました。

 

とはいえどちらの議論も結局は同じ結論に集約していく気もします。

 

〈句読法案〉から始まって〈くぎり符号の使ひ方〉などの「いかに打つか」の議論は、正しい読点の打ち方の整理を通じて無駄に打たない方法を結局は示しているのだと思います。

 

本多勝一さんの「いかに打たないか」の議論でも、例外的な状況を示しつつ、それ以外の読点については基本無駄に打たない方法をロジカルに突き詰めて提示してくれています。

 

先ほどは子どもたちも文章に慣れてくると休止の意味を持つ接続詞・読点の数が減ってくるとの話もありました。

 

もともと読点は日本語になかったという歴史も冒頭にあったわけです。

 

以上を考えると今回のテーマである「読点の作法」とはすなわち「読点をできるだけ乱発しない」に集約できるような気がします。

 

その上で意図して作法を打ち破る場面もあって、その「無作法」が一種の個性になるのかもしれません。

 

堀一心さん。撮影:武井靖。

堀:ちなみに坂本さんはずっと聞く側に徹していますが、どのような感覚で読点を打っているのですか?

 

坂本:私個人は息の長い文章が好きで、谷崎潤一郎〈春琴抄〉のような極端に句読点の少ない文章が好きです。書く場合も読む場合も一緒です。

 

そもそも私は書く行為そのものが大好きで、パソコンのキーボードをたたいていると、ピアノを弾きながらうれしそうに体を揺らしているスティービー・ワンダーの気持ちがちょっとだけ分かるんです。

 

気分的には歌うように文章を書いているので、それこそどこまでも息の長い、一文の長い文章を書いてしまいます。

 

特に初稿はとりあえず書き上げる行為が大事だと思っているので、自分の気持ちいい長い文章をひたすらに書き続けます。

 

その後に推敲(すいこう)する段階で「これは長いな」「ここは分かりにくいだろうな」と視覚的なまとまり・(黙読時の

息の切れ目ごとに読点を入れてぶつ切りにしていくイメージです。

 

プラスして先ほどの記者ハンドブックにも出てきた「20文字くらいのまとまり」で機械的に読点を打つ場合もあります。

 

とはいえ読点(、)の入れ方に体系化されたルールを持っていたわけではありません。

 

それこそ今までの読書経験がベースで、泉鏡花・志賀直哉というタイプの異なる文豪の名文を書き写す練習を繰り返しながら自己流で読点を考えてきました。

 

ただ今日学んだように、もともと日本語に読点はなかったわけです。

 

本多勝一さんの〈中学生からの作文技術〉(朝日新聞出版)を10年ぶりくらいに読み返してみても、もっとロジカルに「基本は打たない」方向にシフトしたいと思ってきました。

 

もともと打ちたくない派の人なので。

 

宮城:話を聞いていると坂本さんなどはすごくそっち寄りなんだと思いますけれど、読者のために書かない文章があってもいいわけですよね。

 

自分が書きたいから書くみたいな文章もあるわけです。一方では読み手を想定して誤解のないように書く文章もあります。

 

宮城信さん。

高校の学習指導要領が大幅に改訂され現代文が論理国語・文学国語に分かれて選択制になります。

 

論理国語について文学者などから批判が出ている理由は、論理国語一辺倒になれば分かりやすい文章しか学校で教わらなくなるからです。

 

坂本:この問題については週刊誌〈AERA〉や月刊誌〈文学界〉などの雑誌も批判的な特集を組んでいますよね。毎日新聞も社説で取り上げています。

 

宮城:一文が長くて読点(、)が少ない、言い換えれば適度に読者へ負荷の掛かる文章が書けたっていいじゃないか。

 

むしろ負荷が掛かるような文章を必要に応じて自由に書けた方がいいとの議論もあって、そのジレンマなのだと思います。

 

堀:〈HOKUROKU〉さんの特集を通じて「文章には役割りがある」と伝わればいいですよね。

 

私も一応社長なのでビジネス書をたくさん読むわけですが、情報があふれている現代は単に分かりやすく書くだけでは駄目で、筆の力というか文学的なにおいのする文章も大事になってきます。

 

科学的な文章でも文学的な表現が求められるなど、ただ文章を出しても伝わらない世の中になっていると思います。

 

分かりやすいロジカルな文章も書ける、一方で悪文の魅力というか、ちょっと読者に負荷の掛かる文学的な文章も書ける、両方を使い分けられれば理想的です。

 

その切り替えの1つのヒントが読点なのかなと思います。

 

 

(副編集長のコメント:社会人になりたてのころメールにしても会議資料にしても「ロジカルに書け」と徹底的に教え込まれました。

 

社会人10年目を迎えた今、ロジカルなだけじゃ人は動かないなぁと痛感しています。

 

意図して原則を破る、思想を託した自由な読点は、人を動かす文章づくりの鍵を握っているのかもしれませんね。)

谷崎潤一郎の中編小説。句読点や改行を極端に省略した文体が特徴。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/56866_58169.html

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