法律家の「謎解き」。弁護士Iからの挑戦状。(金沢市庁舎前広場編)

2021.01.20

第2回

「賛成」や「反対」の集会はできない。(事の経緯)

 

市庁舎前広場で集会ができないと知った金沢市民Xらは、いしかわ四高記念公園(旧・中央公園)で集会を行う方向に転換した。

 

外野から見れば、「集会が行えたならば、問題ないじゃないか」と思うかもしれない。しかし、Xらが市庁舎前広場を希望した背景には、理由があった。

 

香林坊の交差点。この交差点を多くの車が曲がり、百万石通りに入っていく。撮影:坂本正敬。

人と車の行き来が多い百万石通りから見ると、いしかわ四高記念公園は、<四高記念文化交流館>の建物裏手に位置している。つまり、一般の歩行者やドライバーに対して見えづらい場所にある。

 

現在の写真。裁判で問題になった「広場」は、2016年(平成28年)に行われた整備事業の前、2014年(平成26年)の出来事だが、改修前後で「広場」の姿はそこまで大きく変わっていない。

一方で、<市庁舎前広場>は一般の歩行者やドライバーからでも障害物がないため見通しがいい。

 

市庁舎前広場であれば、自衛隊の市中パレードの会場である<石川県政記念 しいのき迎賓館>にも近い。

 
その分だけ、自衛隊の市中パレード中止を訴える集会の影響力も、大きくなるのだ。

 

さらに細かい話を言えば、いしかわ四高記念公園で集会を開く場合、市庁舎前広場の集会利用で発生しない1,460円の利用料も必要になる。

 

金沢市民Xらからすれば、「集会が行えたなら、問題ない」では済まされない話だった。

「政治的な行為」ってなんだ?

なぜ金沢市民Xらの市中パレード中止を訴える集会だけが、「政治的な行為」として許されなかったのだろうか。

 

後に裁判でも争点になるが、そもそも市庁舎前広場は市民のための空間なのか、あるいはただ金沢市が所有する敷地の一部なのか。

 

市庁舎前広場が「みんなのもの」「金沢市民のもの」であれば、市民Xらは「みんなの一人」として自由に使えるはずだ。

 

一方で、市庁舎前広場が金沢市の所有地であり、ただの市役所庁舎の敷地の一部とするならば、使わせるかどうかは、金沢市が自由に判断できるはずだ。

 

普通に考えれば、市庁舎前広場は金沢市役所の敷地の一部なので、金沢市民のための空間、「みんなのもの」という発想は、単なる建前、理想論にも思えるかもしれない。

 

しかし、当の金沢市自体も、1983年(昭和58年)に「広場管理要綱」を定め、(宗教的または政治的な行為は駄目と補足するものの)「庁舎前広場は、本市の事務または事業の執行に支障のない範囲内で、原則として、午前8時から午後9時までの間、市民の利用に供させる」と書いていた。

 

確かに2011年(平成23年)にはルールも変わり、「広場」の一般利用を制限するルールも新たにつくられた。昭和時代から続く古い規則を廃止し、「金沢市庁舎等管理規則」を新たに制定して、「特別な理由があり、かつ、庁舎等の管理上特に支障がないと認めるときは、当該行為を許可する」とした。要するに、市民の利用は「特権だよ」「かなり特別だよ」とあらためて制限が加えられていた。

 

しかし同時に、原則として「広場を使わせる」と定めた「広場管理要綱」は残っていた。宗教的または政治的な行為は除くとしながらも、原則として広場の使用は認められていたのだ。

 

また、金沢市の独自の規則を上回る法律を見てみたい。そもそも市の規則とは、法律に基づき、市長が法令に反しない範囲で、自らの権限に属する事務に関して定めたルールである。しかし、規則が従うべき法律において、理想論や建前にも聞こえる市民の権利が、保障されているのだ。

 

 

地方自治法244条には、公の施設の利用について条文がある。金沢市のような普通地方公共団体は、

 

「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」

 

「住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない」

 

と法律で定められているのだ。

 

もし、金沢市のような地方公共団体が正当な理由なく住民の施設利用を拒否できるようになれば、社会の居心地はきっと悪くなる。

 

例えば、「あなたは気に入らないから」とか「市に逆らっているから」といった理由で、市は公民館や公園、図書館などの使用を拒む権利を持ち始める。

 

公的な(パブリックな)空間は、形の上では都道府県や市町村が所有しているとしても、実体としては「みんなのもの」と法律に書かれているのだ。

 

正当な理由がない限り、自治体は利用を拒否できない。利用に当たって誰かを差別してはならないと、考えられている。

憲法に違反すれば、法律すら無効。

 

とはいえ、以上の法律を踏まえても、なお「仕方ないのではないか」と考える人も少なくないはずだ。

 

金沢市がルールとして『政治的な行為』は駄目と規則で定めているのだから、市庁舎前広場の利用可否を決める権利は当然金沢市にあるという考えだ。

 

もちろん、それも解釈の1つに違いない。それならば、今度は法律ではなく、国を運営する上で「最高」の効力を持つ憲法を一度、見てもらいたい。

 

憲法98条1項を読むと、

 

「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」

 

と書いてある。つまり、憲法に違反すれば、法律すら無効になる。市の定めた規則については、言うまでもない。

 

憲法21条1項には、「集会……の自由は、これを保障する。」と書いてある。

 

市庁舎前広場で市中パレードの中止を訴える集会も、集会だ。

 

集会の自由が憲法で保障されている以上、仮に金沢市が「市に反対する意見は駄目」と規則で決めても、憲法が認める自由の前には、効力を失うのではないか。

 

もちろん、憲法が保障する「集会の自由」にも、限界はある。例えば集会をしたいからといって、市役所の職員が使う会議室の利用は、当然の解釈として求められない。

 

 

ただ、集会や表現には、リアルの「出会い」の場が不可欠だ。

 

今の時代はSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)、ウェブサイトなど、インターネット上で自由に人が集まり、その場で表現もできる。

 

しかし、インターネットと現実の世界は違う。道路や広場のような公共の場所であれば、例えばインターネット上では生まれない出会い(出合い)の可能性が大きくなる。

 

道路は町内会のバーベキュー、お祭りのためにも使われている。まちの広場では、インターネット上で検索しても掲載できないようなアーティストやパフォーマーを見掛ける。

 

そうした路上や広場の祭りやストリートパフォーマンスを偶然目にして、思わず足を止めた瞬間が、皆さんにもあるのではないか。

 

もちろん道路や広場は、デモ行進、ビラ配り、街頭演説など、政治的な表現活動にも使われている。

 

道路については、1954年(昭和29年)の最高裁判例のころから、デモ行進による表現の自由が認められている。

 

アメリカ合衆国でも、道路、公園、広場などは、歴史的に表現の場として使われてきた。

 

このような伝統的な表現の場(パブリック・フォーラム)では、通行だとか市民の憩いという本来の目的は、表現活動に配慮せざるを得ないと考えられている。

 

道路や広場で集会や表現活動ができなくなれば、人はどこで集会・表現をすればいいのだろうか。

 

今回の「謎解き」で、最も考えてもらいたい問題意識である。

 

(編集部コメント:自衛隊だとか市中パレード中止だとかのキーワードを見て、読者の中には「対岸」の話題に感じてしまう人も居るかもしれません。

 

ただ、集会の内容が何であれ、集会がどこでも自由に開けない社会の息苦しさを想像してみてください。確かに居心地が悪い社会になりそうですよね。

 

それでもなお、集会の自由が憲法で認められている社会であってもなお、金沢市が集会の利用に不許可を出した理由も何かあるはずです。

 

その辺りにも公平に思いを巡らせながら、第3回「出題」へと読み進めてみてください。)

(公の施設)第二百四十四条 普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。2 普通地方公共団体(次条第三項に規定する指定管理者を含む。次項において同じ。)は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。3 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。

関連する記事

オプエド

この記事に対して、前向きで建設的な責任あるご意見・コメントをお待ちしております。 書き込みには、無料の会員登録、およびプロフィールの入力が必要です。