「広場」と広場。(法律家の序言とプロローグ)
現在の<市庁舎前広場>。写真は2016年(平成28年)の整備事業が終わった後の状態。
法律家の序言。
<HOKUROKU>運営メンバーにして、弁護士の伊藤建です。
このマガジン・プログラム「法律家の『謎解き』。弁護士Iからの挑戦状。」では、北陸3県にまつわる裁判を取り上げ、論理と人情の交差点で悩んだ法律家の足跡を、「謎解き」のようなスタイルでたどります。
法律というと、血も涙もない論理の世界だと思うかもしれません。しかし、過去には論理と人情がせめぎ合いの末、人間味のある判決が出た、あるいは逆に憲法学者や法曹関係者が「到底許せない」と意見する判決が出たために、有名になった裁判が少なくありません。
第1弾で取り上げた<ふるさと納税>をめぐる2020年(令和2年)6月の判例は、人情に反して法の論理を優先した裁判官の判例として、格好の話題でした。
今回取り上げる北陸の事件は、金沢市庁舎前にある大きな「広場」が舞台になります。市民団体と金沢市との間で「広場」を巡る考えが対立し、その争いは最終的に最高裁判所にまで持ち込まれました。
裁判官はどのような判決を下したのか、その結論を憲法学者や法曹関係者は、どのように評価したのか。一緒に考えてみてください。
大きな「広場」
広坂の交差点。撮影:坂本正敬。
金沢を代表する観光スポットといえば、日本三名園の1つとして有名な<兼六園>だ。
兼六園から、金沢城公園との間にあるお堀通りを下ると、右手に美しい並木道が見えてくる。
この並木道は、かつては「広坂通り」と呼ばれていた。現在は百万石通りとして親しまれており、金沢市を代表する繁華街・香林坊へと続いている。
<金沢21世紀美術館>。撮影:坂本正敬。
広坂の交差点の左手にはガラス張りの<金沢21世紀美術館>があり、少し進むと右手には格調高い建物が見えてくる。
この建物は1924年(大正13年)に建てられ、2002年(平成14年)までの78年間、石川県庁舎として使用されてきた。
<石川県政記念 しいのき迎賓館>。写真:石川県観光連盟。
現在は正面側を残して減築され、2010年(平成22年)に<石川県政記念 しいのき迎賓館>として生まれ変わっている。北陸の人たちであれば、誰もが知るエリアに違いない。
さらに足を進めると視界が広がり、2つの大きなスペースが見えてくる。
市庁舎前広場。奥は<市役所第一本庁舎>。写真は現在の様子で、2016年(平成28年)の整備事業が終わった後の状態である。
1つめは、<市庁舎前広場>と呼ばれる。香林坊に向かって左手に見える大きな「広場」(実際は公共の広場というより、庁舎へのアプローチ空間なのでかっこ書きの「広場」の表記)で、奥にはオレンジ色の金沢市の<市役所第一本庁舎>が見える。
<四高記念文化交流館>。
赤レンガの建物は、かつて旧制第四高等学校、通称「四高(しこう)」の校舎として使われていた。
現在は<四高記念文化交流館>に改装され、文学や資料が展示されている他、貸会議室は各種の研修会やコスプレイヤーの撮影会の控室などに使われている。
百万石通りからは見えにくいが、「四高」の奥にある広場は、かつて「中央公園」と呼ばれていた。「四高」の改装に伴い、「いしかわ四高記念公園」という名前に改められた。
今回の「謎解き」は、これら2つの広大なスペースを巡る物語である。
広場としての役割が認められてきた。
いしかわ四高記念公園。
一般に広場には、どのような役割が与えられていると考えるだろうか?
誰もが自由に出入りできる上に、市民の憩いの場として普通は思うだろう。当然、何かのイベントや集会の開催地にもなる。
市庁舎前広場も一緒で、これまでに<かなざわ国際交流まつり>などのイベント、集団的自衛権行使容認や軍国化に反対する市民集会、金沢市長選挙の出陣式など、さまざまな用途に使われてきた。
金沢市長自身も、市役所第一本庁舎へのアプローチ空間をメインとしつつも、憩いの空間やイベント空間としての機能充実を図る方向性も示していた。
後に裁判となった際の判決文によれば、
“平成24年度に本件広場の活用方策を検討する本件広場活用計画策定事業費として205万4000円を支出している”
“同事業においては本件広場につき「庁舎へのアプローチ空間」をメインとしつつ,「憩いの空間」や「イベント空間」としての機能の充実も図るという基本的な方向性が示されており”
という事実もある。
要するに、市役所第一本庁舎前の空間は、単に庁舎の敷地の一部という扱いにとどまらず、一般的な意味における広場の役割が金沢市によって認められてきたのだ。
北陸の人であれば分かると思うが、市庁舎前広場の周囲には壁があるわけでもない。生垣で周囲と仕切られているわけでもない。
写真左から百万石通り、歩道、右手奥が現在の市庁舎前広場。現在の写真は、2016年(平成28年)の整備事業が終わった状態。裁判で「広場」が問題となった時期は、改修前の2014年(平成26年)である。とはいえ、改修前後でそれほど大きな変化はない。
道路に面して完全に開かれており、市民は自由に庁舎前の空間を行き来している。
同じ市庁舎でも、例えば富山市庁舎、福井市の市役所庁舎のアプローチ空間とは、設計上の思想が違うようにも思える。
富山市庁舎。三角屋根の下にアプローチ空間があるが、生垣で囲われている。写真:富山市観光協会。
ところが、2014年(平成26年)、市庁舎前広場を使ったある市民集会の開催について、利用が不可と判断された。
「イベント空間」としての機能充実を図る方向性を示していたはずの金沢市によって、市民集会の開催が不許可とされたのだ。
市中パレードの中止を求める集会。
百万石通り。
事の発端としては、2014年(平成26)5月24日、石川県政記念 しいのき迎賓館からお堀通りに向かって、金沢駐屯地の基幹部隊である第14普通科連隊の創隊60周年を記念する、自衛隊の市中パレードが行われる予定が持ち上がった。
2014年と言えば、中東でIS(イスラム国)が勢力を拡大し、長野県で御嶽山が噴火して、広島県で大規模な土砂災害があった年だ。STAP細胞の騒ぎもあった。
同じころ、第14普通科連隊の創隊60周年を記念する自衛隊の市中パレードが行われると知った金沢市民Xらは、同年の5月19日に、市庁舎前広場で市中パレード中止を求める集会を開こうと計画した。
金沢市民Xらは、陸海空三自衛隊による市中パレードを「軍事」パレードと考えたからだ。
集会に先立つ5月2日、Xらは市庁舎前広場を管理する金沢市長に、書面を通じて許可を求めている。市庁舎前広場を使うために必要な正式な申請方法である。
しかし、12日後の5月14日、市中パレード中止を求める集会開催の申請は、金沢市によって不許可とされた。
不許可とした金沢市側からは、「市の定めたルールで、物事に対する『賛成』や『反対』を訴える集会、いわば政治的な行為に市庁舎前広場は使えない」と説明がされた。
繰り返しになるが、過去に金沢市長自身が市庁舎前広場の利用について、憩いの空間やイベント空間としての機能充実を図る方向性を示してきた。
さらに言えば、市民集会、金沢市長選挙の出陣式など、いわば物事に対する「賛成」や「反対」を問う集会も行われた。
にもかかわらず、第14普通科連隊 1の創隊60周年を記念する自衛隊の市中パレード中止を訴える集会の利用は、金沢市から不許可と判断されたのだ。
この判断を巡り、金沢市民Xらは金沢市を相手取って、今回の不許可処分は違法であると、金沢地方裁判所に提訴した。
金沢市民Xらと金沢市による法廷闘争の始まりである。
(編集部コメント:金沢市民のみならず、北陸の人であれば、市庁舎前広場がどのような場所が、何となく想像が付くと思います。
金沢21世紀美術館の敷地の隣、市役所地下駐車場に出入りもできる大きなスペースですね。
あの「広場」を巡って、過去に法曹関係者や憲法学者を騒がせる事件が起きていたとは、知りませんでした。
引き続き、第2回の「事の経緯」へと読み進めてみてください。)
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