法律家の「謎解き」。弁護士Iからの挑戦状。(金沢市庁舎前広場編)

2021.01.21

第3回

憲法上許容できない。

金沢市の風景。撮影:坂本正敬。

出題。

ここまでの話をおさらいしよう。

 

事の発端は、自衛隊による市中パレードの中止を訴える集会を、金沢市が所有する市庁舎前広場で、金沢市民Xらが行おうとしたところから始まる。「広場」は、庁舎へのアプローチ空間を役割の第一としている。

 

Xらが金沢市に申請書を提出すると、利用が認められなかった。

 

不許可とした市側の説明は、「市の定めたルールで、物事に対する『賛成』や『反対』を訴える集会、いわば政治的な行為に市庁舎前広場は使えない」だった。

 

しかし、過去に市庁舎前広場は、集団的自衛権行使容認や軍国化に反対する市民集会の他、<かなざわ国際交流まつり>などのイベント、金沢市長選挙の出陣式など、さまざまな用途に使われてきた。

 

当の金沢市自体が、市庁舎へのアプローチ空間を第一の役割としながらも、憩いの空間やイベント空間としての機能の充実を図る方向性を示し、予算も割いてきていた。

 

市庁舎前広場は、一体何のための空間なのか。

 

仮に市庁舎前広場が一般的な意味の広場としての役割を持たせられているのであれば、伝統的な表現の場(伝統的パブリック・フォーラム)として、憲法で定められた表現の自由の舞台利用に配慮される必要もある。

 

ただ、憲法で表現、集会の自由が認められているといっても、限界はあると繰り返し述べた。広場や道路を所有する者にも、正当な理由があれば、使用の申請を拒否できる権利もあるのだ。

 

正当な理由とは何か? 集会を許せば、人の命や身体、財産が侵害されると、かなり明らかに予想される場合だと最高裁判所は過去に憲法上の解釈 をしている。

 

この解釈に即すなら、自衛隊の市中パレードに反対する集会で、人の命や身体、財産が侵害されると、かなり明らかに認められたのかどうなのか。この点もポイントとなる。

微妙な問題の整理。

写真:Photo AC。

前回の「謎解き」同様、この裁判は実話である。調べれば、判決に関する情報は出ている。

 

比較的最近の話題であり、舞台も北陸だ。結末を記憶している人も居るかもしれない。原告(訴える側)側もホームページで裁判の経緯を記録している。

 

ただ日々の中で情報は流れ、消えていく。恐らく正確に記憶している人の方が少ないはずだ。

 

結果を覚えている人でも、その理由や判決の内容まで詳しく記憶していないと考えられる。富山、福井に暮らす人たちとなると、そもそも話題自体を知らない人も多いはずだ。

 

どちらが勝ち、どうして勝ったのか。

 

最終的な裁判所の結論に対しては「憲法上許容できないものであった」と、最高裁判所に意見書を提出した学者の論文にも書かれるほど法曹関係者・憲法学者の間では異論も出た。

 

見方によってはそれだけ微妙な問題とも言える。

 

金沢市民Xらの提訴に対して、2016年(平成28年)2月5日に金沢地方裁判所の判決が出た。

 

人情と論理、原告(訴える側)と被告(訴えられた側)の双方の視点から、どのような判決が下されたのか考えてほしい。

 

(編集長のコメント:次は最終回の「解答」に続きます。

 

余談ですが、筆者の伊藤建は「弁護士なんだから<六法全書>を全部覚えているんでしょ?」と言われるみたいです。

 

事実は違って、司法試験の論文試験では試験会場で六法全書がむしろ貸与され、試験時間中は見放題、いわばカンニングができるみたいです。

 

それでも司法試験が日本最難関と言われる理由は、条文を覚えているだけ・読めるだけでは駄目で、深く解釈する力が問われる試験だからなのだとか。

 

要するに法律家の仕事は、すでに書かれたルールをどのように解釈するか、その解釈を専門家同士でぶつけ合いながら、世の中の正しい・間違っているを導き出していく仕事なのですね。

 

市庁舎前広場の問題を皆さんはどのように解釈しますか? 判事の解釈と皆さんの解釈を次の回で「答え合わせ」してみてくださいね。)

人の生命、身体又は財産が侵害される危険が、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である。

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