移住者たちの川柳。第1回<金猫賞>の発表の話。

2020.10.21

vol. 03

俳句には季語が必要で、川柳には必要ない理由。

写真:photoACより。

ここまで話が分かると、川柳と俳句のテクニック上の違いも分かってきます。

 

例えば、どうして俳句にだけ、季語や切字が必要なのか。

 

俳句はユーモラスな連歌である俳諧の出だし(発句)を、松尾芭蕉が独立させ、後に正岡子規が文学の域まで高めたと言いました。

 

俳諧の発句、言い換えれば、5音・7音・5音の出だしは、この後に続く連歌の状況設定の句なので、おのずと独立した世界観を持ちやすい傾向があります。

俳諧の連歌の発句(出だし)に次の句が続く例:

梅が香にのっと日の出る山路かな(発句)

処々に雉子(きじ)の啼(な)きたつ(脇句)

(松尾芭蕉『炭俵』より)

しかし川柳は、出だしの7音・7音に対する、当意即妙な5音・7音・5音の回答が本分です。

 

言い換えれば、お題の7音・7音の前ふりがあって初めて成立する短詩なので、川柳の独立性は俳句と比べて低くなります。

 

そのため、自然と以下のような相違点も生まれてきます。

  • 俳句は句の意味を完結させる切字(きれじ)を必要とするが、川柳は基本的に要らない。
  • 俳句は句の季節を示す季語を必要とするが、川柳は必要ない。

ちなみに切字とは、句の中で意味を完結させる「言い切りの表現」です。

 

具体的には「~かな」「~や」「~らん」「~けり」などは有名です。こうした季語や切字が俳句に必要な理由は、独立した世界観を確立するためだと分かります。

 

先ほどの句(梅が香にのっと日の出る山路かな)で言えば、「梅」が季語、「かな」が切字になります。

 

ここまでの壮大な前振りをまとめると、次のようになります。

  • 俳句は俳諧から受け継いだこっけいやユーモアを大切にしつつも、文芸としての格調を保つ。一方の川柳はむしろ、俳諧からのこっけいやユーモアを前面に強調する。
  • 俳句は単独で世界観を確立するために、季語と切字を使う。一方の川柳は前ふりを受けての表現なので、独立性が低く、季語も切字も使わない。
  • 俳句は季語を必要とするため、自然の風景が描写されるケースが多い。一方の川柳はこっけいやユーモアを強調するため、自然と人間を描くケースが多い。

(『HOKUROKU』の<移住者たちの川柳>第1回<金猫賞>は、こうした基礎知識を踏まえて選びました。次はいよいよ<銅猫賞><銀猫賞>の発表です。)

この記事を書いた人

坂本 正敬

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