川柳と俳句の違いも学べます。移住者たちの川柳「金猫賞」発表の話
vol. 02
「川柳」とはそもそも人の名前
柄井(からい)川柳さん。写真:Wikipedia(国会図書館関西総合閲覧室)より
川柳とは、そもそも何の言葉から来ていると思いますか?
移住者たちの川柳の副題では「かわやなぎじゃないよ」と書いています。どこか風流な響きのある川や柳など自然の景物が言葉の由来になっていると考える人も少なくないと思います。
しかし語源は「川や柳じゃないよ」です。実は人の名前(実際はペンネーム)、柄井(からい)川柳さんから来た言葉で〈広辞苑〉(岩波書店)にも出ている江戸時代の人です。
1757年(宝暦7年)に初めて句合わせの興行を柄井さんは開催しました。
選者である柄井さんがお題(7・7音の前句)を配布し、お題に対する句(5・7・5音の付句)を募集して、その応募者から参加料を募るイベントが句合わせです。
柄井さんの句合わせ(川柳評万句合)の例
お題:にぎやかな事にぎやかな事
入選句:ふる雪の白きをみせぬ日本橋
この句合わせを柄井さんは何度も開催し、点者(採点官)として力量を発揮します。
句合わせで興行している人は他にも居たものの柄井さんの選ぶ句の世界観が当時の江戸っ子に受けて押しも押されもせぬ業界の大物になっていきました。
「川柳さんが選んだような句」が「川柳」と呼ばれる
他の点者と柄井川柳さんの評価する句はどのように違っていたのでしょう?
他の点者は(今で言う)俳句のような硬い調子を評価していました。柄井さんは一方で句の調子の柔らかさ・庶民的な低俗さとおかしみに焦点を当てて評価しました。
柄井さんが点者として評価した句の例
お題:おしわけにけりおしわけにけり
入選句:雛まつり旦那どこぞへ行きなさい
入選句:朝がえりながしのきわでたたかれる
選句するにあたり以下のように柄井さんが考えていたとも知られています。
“こっけい、しゃれ、風刺等を重んじ、人情の機微をうがち、人生、社会の真相を写している句をとりあげた”(吉田健剛〈古川柳入門〉より引用)
柄井さんの取り上げた句の中でも選りすぐりの作品がその後に出版されると、柄井さんの句はますます認知度が高まっていきます。
結果として、柄井川柳さんが点者として選んだような句が川柳点(川柳)と呼ばれるようになったのですね。
川柳も俳句も出どころは一緒
ところで川柳は5・7・5音の短詩です。5・7・5と言えば俳句も同じ。川柳と俳句は何が違うのでしょうか?
結論から言えば川柳も俳句も出どころは一緒です。いわば兄弟姉妹のような関係。
それぞれの「親」は俳諧の連歌にあります。俳諧の連歌とは5・7・5(上句)と7・7音(下句)を(逆の場合もあり)異なる人同士で詠み合う連歌の一種みたいです。
規則的で美意識の高い作風が正統な連歌だとすれば、余興のような自由な作風が俳諧の連歌の特徴になります。
この「俳諧」の言葉は後に俳句の元にもなります。「おどけ、たわむれ、こっけい」などの意味が辞書には書かれています。
俳諧の連歌の例:
切りたくもあり切りたくもなし(上句)
盗人をとらえてみれば我が子なり(下句)
内は赤くて外はまっ黒(上句)
知らねども女の持てる物に似て(下句)
(どちらも俳諧撰集『新撰犬筑波集』より)
この俳諧の連歌に文芸性を持たせた人が、あの有名な松尾芭蕉です。長々と問答が続く俳諧の連歌の口火を切る5・7・5音(発句)を独立した作品として位置付けて松尾芭蕉は磨き抜きました。
明治時代には正岡子規がさらに文学の世界にまで引き上げ、俳諧の連歌の発句を「俳句」と新しい言葉で呼ぶようになります。
同じ俳諧の連歌が出どころでも川柳は一方で異なる道を歩きました。7・7音(短句)をお題に次の人が5・7・5音(長句)を続けるスタイルを利用しつつ、柄井川柳は庶民性とこっけいさを追求したのです。
ポイントの整理
- ユーモラスな連歌(俳諧の連歌)と美意識の高い連歌(純正の連歌)がある。
- 前者の俳諧の連歌における発句(5・7・5音)を松尾芭蕉が独立させて文芸性を持たせる。正岡子規が後に文学に高めて「俳句」と呼ぶ。
- 一方の柄井川柳は違う道を歩む。7・7音(短句)をお題に、次の人が5・7・5音(長句)を詠むスタイルを利用して、庶民性とこっけいさを含んだ短詩を深める。このスタイルが後に川柳となる。
(副編集長のコメント:俳句と川柳のテクニック上の違いを次の回では整理します。その学びを受けていよいよ受賞作の発表へと続きます。)
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