北陸に伝わる怪談話。金沢の「子育て幽霊」編

2021.08.09

第1回

はじめに。子育て幽霊譚(たん)

 

さまざまな民話や伝説が金沢には残っている。

 

地名の由来とも関係する芋堀(いもほり)藤五郎(とうごろう)の話や蛤坂(はまぐりざか)の妙慶寺を守る天狗(てんぐ)の八角板の話など、今も残る場所と結び付く話は多い。

 

市内に現存する立像寺・光覚寺・西方寺・西養寺にも類似した幽霊譚(たん)が同様に残っている。「子育て幽霊」の話だ。

 

この話の出どころはおおよそ見当がついている。〈通幻伝〉といって、越前府中(福井県武生市)の曹洞宗龍泉寺を開いた通幻の誕生秘話だ。

 

通幻は土中で誕生したと言われている。

 

土中とは、具体的に言えば墓の中だ。土中で生まれた通幻は墓地を管理するお寺の住職に養育され成人する。後に立派な僧侶となって曹洞宗の龍泉寺を開いたとされる。

 

龍泉寺のあった越前府中は織田信長に平定され、後の加賀藩の初代藩主となる前田利家が城主として治めた土地でもある。

 

関ヶ原の合戦が終わると前田利家は金沢に移った。幾つもの寺院と僧侶が従った。立像寺・光覚寺・西方寺・西養寺もその中に含まれる。

 

宗派こそ違うが、いずれも金沢に2つある寺町(寺町寺院群・卯辰山寺院群)の寺院だ。

 

土中で生まれた通幻の話が北陸の曹洞宗の禅僧(雲水)によって越前から加賀・能登に持ち込まれ、その伝説が流布される中で他の宗派のお寺にも定着したと考えられる。

 

各寺院の僧侶の説教により、さらに門徒へ広まっていく。その口伝されてきた幽霊話は加賀・能登に暮らす多くの人が知る物語となり〈咄随筆(はなしずいひつ)〉で初めて文字として記録された。

 

咄随筆の著者は、加賀藩の下級武士・森田小兵衛盛昌(もりまさ)である。

 

親戚や縁者、同僚、友人、知人から聞いた興味をそそられる話を1726~1727年(享保11~12年)に彼がまとめた。

 

その中には、今回〈HOKUROKU〉の特集で取り上げる「墓の中にて出生の男子」が収録されている。

 

越前府中で生まれ、前田利家の金沢入城とともに北陸の禅僧によって加賀・能登に持ち込まれて、後に宗派を超えて広まり門徒の間でも口伝された物語を、金沢で生まれた下級武士が文字として記録し、後世に伝えた。

 

いわば、北陸で生まれ北陸で育まれた幽霊話である。HOKUROKUが取り上げる夏の怪談話としてこれ以上の物語はない。

物語の根底に流れる「通奏低音」

HOKUROKUで「墓の中にて出生の男子」の話を取り上げるにあたって幾つか事前の断りがある。

 

まず、咄随筆に収録された元ネタの物語は短い。400字詰め原稿1枚程度である。

 

さらに、金沢の各寺で語り継がれる子育て幽霊の話にはさまざまな違いが細部にある。

 

HOKUROKUで読み物として仕立てるにあたって、原則として咄随筆の内容、各寺の口伝に従いながら、情報が決定的に不足する部分については、当時の文献などを基に筆者の想像で大胆に加筆した。

 

最終的に出来上がった物語は、咄随筆、および各寺で伝わる物語と根底の部分で共通しながら、どの話とも微妙に細部が変化している。

 

しかし、歴史と伝説に最大限の敬意を払い、伝承される物語の根底に流れる「通奏低音」には耳を傾けた。

 

言い換えれば、本来の物語と一定の距離以上に離れない立ち位置を守った。

 

物語の時代は寛文(1661年~1673年)の末で、犀川沿いの野田寺町(現在の寺町・清川町・十一屋町)にある団子屋から話が始まる。

 

福井・富山など同じ北陸でも金沢以外に暮らしている人は、地図を用意して読むと余計に楽しめると思う。

 

石川に暮らす人の場合は、聞き覚えのある物語を大胆に膨らませた読み物を通読する中で、どこか背筋の寒くなる思いを夏の暑い日に感じてもらいたい。

 

江戸時代の金沢の歴史も少し学べる内容になっている。見慣れたまちの風景に新鮮さを取り戻すきっかけに、この物語がなればと願う。

 

副編集長のコメント:怪談を通じて見る金沢のまちはきっといつもと違って見えるはず。

 

物語のお供には金沢の地図とお団子をご用意ください。

 

それでは「子育て幽霊」始まり始まり……)

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