利き酒師と酒匠で考える。日本酒の「ペアリング」の教科書。(後編)
vol. 04
神は細部に宿る。
下木:まず、酒器選びのために聞きたいのですが、ミニバーセットの玄はお客さまの部屋の冷蔵庫に入れておきますか?
池森:部屋に置いておけるので、常温がいいです。
下木:お部屋に用意しておく酒器は、自由に選んでもいいという話ですよね。
池森:3部屋ありますので、その部屋分の数がある限り、大丈夫です。
下木:酒器を全部見せてもらえますか?
池森:恥ずかしいな。
下木:すみません。
坂本:そう言えば、下木さんは山中漆器の酒器の監修などもしていますよね。
ここでせっかくなので、酒器の基本的な考え方を教えてもらえないでしょうか?
例えば、酒器がどのような形になると、どのように変化するのかなど。
下木:分かりました。まず、日本酒の味わいは主に、うま味と酸味でできています。
坂本:はい。先ほど、うま味を基本に設計してきた日本酒が、酸味にシフトしてきたという話をしました。
下木:そのうま味と酸味のバランスは、器を変えると変化します。
坂本:具体的には、どのように変わるのでしょうか?
下木:基本的に酒器は、下の部分と上の部分の2つの要素でできています。
形の異なるぐい飲み。
例えば、この2つの酒器を見てください。向かって左は高台から腰、胴、口縁(口の触れる部分)に至るまで、寸胴のようなストレートの形をしています。
右は高台から腰の部分でカーブを描いています。この角度で、酸味を強くするか柔らかくするかが決まります。
左の酒器のように角ばっていると、酸味は強くなり、右のように腰が丸くなっていると、酸味が穏やかになります。
内面を触ってみると分かりますが、左はかっくんととしていて、右は丸いですよね。
(坂本、実際に触ってみる。)
坂本:本当ですね。
下木:このカーブの有無が、酸味のマイルドさに影響しています。
坂本:高さとか深さは関係ないのですか?
下木:そうですね。日本酒の場合はそこまで関係ないです。高さとか深さは香りに影響を与えるのですが、日本酒は鼻で楽しむ香りよりも、口に含んだ時の香り(含み香)の方が強いので。
坂本:器の厚みはどうでしょうか?
下木:厚みも、そこまで気にしなくていいです。
ただ、先ほどから言っている器の形状とは、器の外側ではなく内側の話をしています。
器が薄いほどに、外側の形と内側の形が近くなるので、薄い方が器の見た目と味の差が少なくなり、器選びに失敗しにくくなるというメリットがあるかもしれません。
また、厚い器は口元の触れる部分の心地良さが、一般に市販されている器だと、乱雑になる場合も目立ちます。
その意味で厚い器が敬遠される傾向にはあるのかもしれません。
坂本:口元の触れる部分の心地良さとは何でしょうか?
下木:土もの、陶器とか磁器で厚みがあったとしても、口に触れる部分にいい感じの「r」があれば、唇にフィットしてくれるのです。
坂本:「r」とはアルファベットのアールですね。どういう状態でしょうか?
下木:例えば、能作の酒器を横から見た時に、さすが能作さんだなと思うのですが、口縁が「ピッ」としている。
坂本:ピッとしている?
下木:器の口縁が、外側にちょっとだけ「ピッ」と反っている様子が分かりますか?
坂本:まあ、言われてみれば、反っているような、反ってないような。
下木:この反っている部分が、舌触りを大きく変えるのです。
坂本:下木さんのお店にある器は、例外なくピッとしているのですか?
下木:ピッとしています。やはりどんな仕事でも神は細部に宿るというか、こうした細部にこだわった器は、おのずと値段が高くなってしまう傾向にありますが。
下木さんのお店の酒器。器の口縁がピッとしている様子が分かる。撮影:坂本正敬。
坂本:酸味の話がありましたが、うま味についてはどうでしょうか?
下木:うま味に関しては、酒器を横から見た時の、腰の部分の膨らみに注目してください。腰の部分に膨らみがあると、うま味が広がります。
いわゆる醇酒や熟酒など、味わいが濃厚な日本酒には、腰の膨らんだ酒器が適しています。
坂本:要するに、花のつぼみのような形の酒器を選べばいいのですね。
腰の部分が広い酒器。
大吟醸など薫酒の場合は、香りを楽しみたいので、口縁が広がったタイプの酒器が好ましい。
坂本:先ほど、口に含んだ時の日本酒の香りという言葉が少し出てきました。酒器と香りの関係はどうでしょうか?
下木:香りは口縁の広がりによって変化が出ます。
大吟醸など薫酒の場合は香りを楽しみたいので、口縁が広がったタイプの酒器が好ましいです。
口縁が広がっているタイプの酒器は、含み香が広がり、口縁が狭まっているタイプの酒器は、含み香の広がりが抑えられます。
口縁がラッパのように広がった酒器。
坂本:口に含んだ時の香りを、「含み香」と呼ぶのですね。
ラッパのように酒器が広がっていれば、香りが広がるというイメージは想像がしやすいです。他に酒器で補足はありますか?
下木:熟成した日本酒、特に貴醸酒など、酒を酒で仕込んで品質を安定させる位が高い日本酒は高貴なので、高台が高い器がいいかなと思います。
坂本:高台とは、器の底に付けられた土台のような部分ですね。
酒器ではないが、手前のガラスの器は、口縁が「外にピッと出ている」と下木さんが絶賛した器。第5話に再登場する。位が高い貴醸酒など熟酒に合った器は、右手奥に見える高台が高い器。
では、以上のような酒器論を踏まえて、玄×ゲンゲでペアリングする際の最適な酒器とはどれでしょうか?
下木:そうですねえ。
(下木さん、蔵ステイ池森にあるさまざまな器を物色し、飲み比べてみる。)
この椿の絵が描いてある酒器がいいかもしれません。
香りを強調するために、口縁が少し広がった酒器を下木さんは選択した。
(下木さん、試飲をしてみる。)
ああ、やっぱりこれ、すごくいいですね。ちょっと池森さんもこれで玄を飲んで、他の酒器と飲み比べてみませんか?
池森:分かりました。
ああ、確かに。
下木:いいですよね。
池森:でもこの酒器、うちは客室が3部屋あるのですが、残念ながら3つないんですよ。
下木:ああ、そうか。じゃあ、この酒器に似た、あの切り子の器は、数がありますか?
池森:あります。それこそ、東京の友達に言えば、いくらでも手に入ります。
(下木さん、切り子の酒器で試飲してみる。)
下木:うん、ああ、これですね。完璧です。
坂本:最高の酒器が見付かりましたか?
下木:はい。辛口 玄とゲンゲのミニバーセットを、この切り子の酒器で楽しむという形が、この漁師町の氷見で楽しむ最高のペアリングだと思います。
切り子の酒器と、180mlの玄。
坂本:どういう風にいいのでしょうか?
下木:きっと富山の氷見は、石川の橋立などと一緒で、大皿文化の漁師町で、夫婦げんかで男女がお互いを主張し合う、そんな土地柄だと思います。
池森:その通りです(笑)
下木:若鶴は氷見ではなく砺波の日本酒ですが、蔵ステイ池森は氷見にあります。
その氷見で合わせる玄とゲンゲのペアリングを考えると、漁師町である氷見で盛んな獅子舞のような強弱があり、同時にさわやかな香りもあって、日本酒がゲンゲに負けない印象になるこの酒器が合います。
坂本:先ほどから聞いていると、下木さんはペアリングを考える時に、お酒を楽しむ場所の気候風土や文化、暮らす人たちの人間性に至るまで、さまざまな背景に思いを巡らせながら、ペアリングを模索しているように思えます。
特に、土地を知るためのキーワードとして、民謡や獅子舞の音楽という言葉が何度も出てきました。
下木:はい。僕自身が料理人とペアリングをやる時にも、音楽が必要になります。
坂本:音楽とは、抽象的な意味での音楽ではなく、本当の音楽が必要になるという意味ですか?
下木:はい。料理人と日本酒を出す人がイメージを共有するために、まずは2人で本物の音楽を決めます。
音楽を決めてから、日本酒を並べて、音楽に合わせながら料理と器を当てはめていく作業になります。
僕の中では、酒はリズムで料理はメロディーだと思っています。リズムとメロディーを合わせるために、今回も<YouTube>で氷見の民謡とか獅子舞の音楽を聞いてきました。
その時に聞いた音楽に合わせながら、玄とゲンゲと切り子の酒器を当てはめていった感じです。
坂本:私の興味ある世界で言えば、村上春樹の文章論を聞いているみたいです。
まさか、氷見の民謡や獅子舞の音楽を頭に流しながらペアリングを考えていたとは、恐れ入りました。
(編集部コメント:さて、これで当初の目的である、蔵ステイ池森の宿泊者に出すというミニバーセットの組み合わせが、いよいよ決まりました。
富山県民のベースにある味、玄にスモークしたゲンゲを合わせ、そのペアリングを切り子の酒器で楽しむという部屋飲みセットです。
最終回では、蔵ステイ池森で出す通常メニューとして、薫酒、醇酒、熟酒のペアリングの試食が残っていますので、池森さん、下木さんのやり取りを通じて、ペアリング論を総仕上げしましょう。)
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