すみません。HOKUROKU、Wikipediaデビューしちゃいました。
vol. 01
大胆になれ。
※写真はイメージです。撮影:Kevin Doncaster(flickrより)
『HOKUROKU』の編集部には、熱心なwikipedian(ウィキペディアン)が2人1も居る。
「ウィキペディアンってなんだ?」という人も、恐らくインターネット上に無料公開されているオンライン百科事典『Wikipedia(ウィキペディア)』の名前くらいは知っているだろう。
Wikipediaに熱心に書き込みを行い、日々項目を増やし、すでに書き込まれた項目の内容に疑義を差し挟んで、修正を試みる人たちを、Wikipediaの編集をする人、wikipedian(ウィキペディアン)と呼ぶ。
むろん「無償」である。誰からも頼まれていない。
何の見返りもなく、自発的な意志をもって、仕事の手を止め、料理や家事を脇におき、あるいは愛するわが子を寝かしつけた後の貴重な「自分時間」を使って執筆と編集に時間を割く人たち。
「Wiki crack(ウィキ中毒)」といったスラングも英語ではある。もちろん、日本だけではない。世界中で今日も「ウィキ中毒」の人たちがWikipediaの編集を行っている。
生まれたばかりの小さなウェブメディアの項目を、百科事典に載せる必要なんてある?
Wikipediaと言えば、従来の紙の百科事典とは成り立ちを大きく異にしている。それくらいは、私(HOKUROKU編集長の坂本正敬)も知っている。
最大の違いは、各分野の権威者・専門家たちによる責任執筆制をとっていない点だ。いわゆる「一般人」が知恵と知識を寄せ合って編集する百科事典である。
誰でも書けるし、誰でも内容を修正できる。
Wikipediaの画面をスクリーンキャプチャーし、挿入。
そのボランティアの書き手たちは私にとって、これまでは見も知りもしない誰か、実態を持たない架空の存在だった。
言うまでもなく、自分の身の回りに居るとは考えもしなかった。
しかし、気が付けばHOKUROKUの編集部内に、Wikipedian(ウィキペディアン)が2人も居た。しかもお互いがその事実を楽しそうに自慢しているのだ。
そのうちの一人、HOKUROKUのプロデューサーである明石博之がある日の編集会議で「編集長には、ぜひWikipediaにHOKUROKUの項目をつくってほしい」と言ってきた。
「生まれたばかりの小さなウェブメディアの項目を、百科事典に載せる必要なんてある?」と、私は率直に遠慮した。
オールドファッションな(古風な)私には、百科事典=書くに値する項目を掲載するという考えがある。「HOKUROKUなんて、まだ始まったばかりだし」という謙虚な気持ちが正直にあったのだ。
Wikipedia(ウィキペディア)に載せるには、宣伝的な記述を消さなければならない。
調べてみると、Wikipedian(ウィキペディアン)の間でも、新しい項目づくりについては異なる考えがあるらしい。
「紙じゃなくてウェブなんだから、紙幅に制限もないし、何でも載せればいいじゃん」という考えの人(inclusionist)と、「取捨選択がWikipediaのクオリティにつながる」と項目のえり好みをする人(deletionist)で、意見が割れている。
生まれて間もないHOKUROKUのWikipedia掲載は、後者の人たちから怒られてしまう恐れが十分にある。
Wikipediaの画面をスクリーンキャプチャーし、挿入。
ただ、誰かの名前を検索した時にWikipediaのページがあると、「へえ、この人、Wikipediaにも載るくらいの人なんだ」と、ちょっと見方が変わる。
何やら、SEO(検索エンジンの最適化)の観点から考えても意味があるらしい。
「本当は、宣伝的な記述は掲載が認められないけれどね」
と、HOKUROKUプロデューサーはくぎを刺す。それでもHOKUROKUの項目をウィキペディアにつくって、何かデメリットはあるのだろうか。恐らく、ないはずだ。
ページ作成のプロセスをコンテンツ化すれば、これからwikipediaで項目を立てたい人の参考にもなるかもしれない。
芸人の江頭2:50もYouTubeチャンネルで、自身について書かれたWikipediaの内容を修正していた(とても、ハートフルな内容だった)。
さらに本音を言えば、かつて『百科全書』の編さんを通じ、自然界と人間社会を含んだ世界全体を記述しようと試みたドゥニ・ディドロ(1713~84)に憧れを抱く物書きの端くれとして、百科事典づくりに携わってみたいという思いもある。
Wikipediaの根本的な原則に「大胆になれ」という考えもあるらしい。
以上のような経緯と動機から、「すみません。HOKUROKU、Wikipediaデビューしちゃいました。」の特集は始まった。
「すみません」とはもちろん、「取捨選択がWikipediaのクオリティにつながる」と項目のえり好みをする人(deletionist)たちへの「ごめんなさい」である。
(編集部コメント:次は第2回。そもそもWikipediaとは何なのか、おさらいします。)
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