富山県の一角には「飛び地」の文化圏が見られる
富山県東部の滑川市。旧北陸道に架かる橋。橋の向こう側は富山湾。撮影:柴佳安
お雑煮発祥の地・京都から新潟方面へ旧北陸道の宿場をたどりながら東西お雑煮の境界線を北陸に探す今回の企画。
福井と石川の県境近くの大聖寺川周辺でみそ汁文化圏とすまし汁(しょうゆ仕立て)文化圏の境界線が現れました。石川県内の手取川が丸もち文化圏と角もち文化圏の境界線の役割を果たしているとも分かりました。
手取川から東にある白山市・野々市市・金沢市・津幡町などは「角もち × すまし汁」のお雑煮を食べる人たちがいずれも8割を超すなど多数派だと証明する論文もあります。
みそ汁文化圏とすまし汁文化圏の境界線、丸もち文化圏と角もち文化圏の境界線をいずれも石川県内で越えたわけです。
新潟方面へ向かって旧北陸道を富山県内で進んでも、お雑煮の種類には「角もち × すまし汁」しか見られないと予想されますが実際はどうなのでしょうか?
富山市の内陸部も「角もち × すまし汁」
旧北陸道の主な宿場。話題は富山県内へ。イラスト:武井靖
結論から言うと、一部の「飛び地」を除いて富山のお雑煮はどこも「角もち × すまし汁」でした。
旧北陸道の主な宿場は富山県内に入ると今石動(いまいするぎ、現・小矢部市)→高岡(現・高岡市)→小杉(現・射水市)→岩瀬、水橋(現・富山市)→滑川(現・滑川市)→魚津(現・魚津市)→泊(現・朝日町)と続きます。
北陸3県にある全51の市町村にアンケート調査して各地のお雑煮の特色を今回の特集づくりでは聞いています。
石川と県境を共にする小矢部市(富山)の担当者に聞くと同市のお雑煮は、
「角もち(焼かない)× すまし汁」
だと言います。小矢部市の南北に位置する氷見市・南砺市も共通して、
「角もち(※南砺市の場合は一部に丸もち)× すまし汁」
だと、それぞれの担当者が教えてくれました。
小杉(現・射水市)の位置。〈白地図専門店〉の白地図を〈HOKUROKU〉編集部が画像編集
小矢部市から新潟方面へ進み小杉の宿場があった射水市の担当者に聞いても、
「角もち(焼かない)× すまし汁」
とお雑煮の特徴が回答として挙がってきます。
水橋(現・富山市)の位置。白地図専門店の白地図をHOKUROKU編集部が画像編集
旧北陸道をさらに東へ進んだ現・富山市の海沿いにある水橋のお雑煮については堀田良らによる〈日本の食生活全集16 聞き書 富山の食事〉(社団法人農山漁村文化協会)に詳しく書かれていました。
大正時代の終わりから昭和の初めのお雑煮について富山市水橋金尾新で聞き書きした本の中には、
“角もちをやわらかくゆでて茶わんの中に入れ、別のなべに煮ておいた具の入っただし汁をかける”(日本の食生活全集16 聞き書 富山の食事(社団法人農山漁村文化協会)より引用)
とあります。このだし汁についても、
“醤油と砂糖で味つけした”(同上)
と書かれていますから、すまし汁(しょうゆ仕立て)だと分かります。
水橋は漁港です。富山市でも海沿いに位置しています。内陸部まで南北に43.8kmと富山市は長いです。山沿いには〈おわら風の盆〉で有名な八尾もあります。
八尾(富山市)のまち並み。撮影:柴佳安
八尾(富山市)のお雑煮については〈HOKUROKU〉公式〈Twitter〉で情報提供を呼び掛けると次のような回答が得られました。
八尾出身の母親が作るのは1でした。
妻(お母さんは上市出身)が作るのも1です。
ただし、具材はかなり違います。— 見守る会@ボウリングしたい (@kowasha) November 19, 2020
富山市の内陸部でもお雑煮の姿はやはり「角もち × すまし汁」なのですね。
富山県東部のお雑煮には不思議な現象が見られる
富山市より東側も「すまし汁 × 角もち」文化圏が基本的に続きます。
旧北陸道で言うと水橋の先は魚津(現・魚津市)や泊(現・朝日町)の宿場が続きます。
旧北陸道の主な宿場。話題は富山県の東部へ。イラスト:武井靖
魚津市と朝日町のちょうど間にある入善町のお雑煮については自治体に対するアンケート調査で、
「角もち(焼く)× すまし汁」
との回答を得ています。入善では「焼く」との言葉も出てきました。
関東のお雑煮に入れる角もちは焼いてからすまし汁に入れます。京都を中心に定着する西日本の丸もちは一方で焼かずに汁に入れます。
石川県の手取川を境に始まる角もち文化圏の大半の地域では角もちを焼かずに入れていました。
焼かない理由は、西日本の丸もち文化圏の影響かもしれません。
しかし、同じ北陸でも関東圏に近い入善町では角もちを焼いて入れるお雑煮も見られるのですね。
魚津市・黒部市・入善町・朝日町の位置。白地図専門店の白地図をHOKUROKU編集部が画像編集した
しかしここで話は終わりません。富山県の東部のお雑煮には不思議な現象も見られます。
富山県の東部には「飛び地」のように丸もち文化圏が定着しているエリアが一部に存在しているのです。
富山県東部のイレギュラーなお雑煮の存在を知ったきっかけは、知人たちに行った聞き取り調査でした。
宇奈月温泉。写真:とやま観光推進機構
旧北陸道の宿場があった朝日町で製材所を経営する人、さらには、黒部市の宇奈月温泉で生まれ育った知人に聞き取りをすると、想定どおり朝日町の経営者からは「角もち(焼く)× すまし汁」との回答を得られました。
補足もあり、朝日町のスタンダードとしては、
「魚のアラでだしをとって身をほぐし入れ、豆腐や野菜などを入れごっちゃ煮にする感じが新川地区のお雑煮にだと聞いたことがあります」
とも教えてくれました。新川地区(朝日町を含む富山県東部)のお雑煮については日本の食生活全集16 聞き書 富山の食事(農山漁村文化協会)にも記述があります。
“雑煮は、ふくらぎ、さば、たいなどの焼き魚の身をほぐしたものや、こんにゃく、ごぼうとにんじん、焼き豆腐、ねぎなどを入れた実だくさんの澄まし仕立てのものである”(日本の食生活全集16 聞き書 富山の食事(社団法人農山漁村文化協会)より引用)
まさに、朝日町の経営者から寄せられた情報と合致する内容です。
新川地区のお雑煮。写真:農林水産省、北海道農政事務所のホームページより
問題は、黒部市の宇奈月温泉で生まれ育った知人の回答でした。
「わが家は生地(黒部市)がルーツです。」
との前置きがあった上で、
- 丸もち(焼かない)× 白みそ
と、完全に関西風のお雑煮を食べていると答えます。
回答者の暮らす宇奈月温泉は山間にあります。「ルーツ」の生地は同じ黒部市でも海沿いの漁港です。
黒部市の知人から得た回答は「例外」「少数派」と片付けてもいいのでしょうか?
富山県東部の一角に「飛び地」の丸もち文化圏が割り込んでいる
株式会社お雑煮やさん代表・粕谷浩子さんが監修した農林水産省のホームページ情報を基にHOKUROKU編集部が画像作成した
今回の特集の最初に掲載したお雑煮文化圏マップを覚えていますか?
日本列島の中央に引かれた丸もち・角もちの分岐ラインにあらためて注目してください。
「N」のアルファベットのように日本海側で線が大きく蛇行して、西日本の丸もち文化圏が富山県東部の沿岸に割り込んでいる様子が分かります。
似たような地図として、伝承料理研究家の奥村彪生さんが農林水産省・文化庁編著〈お雑煮100選〉(女子栄養大学出版部)に提供したお雑煮文化圏マップもあります。丸もち・角もちの分岐ラインの蛇行がこちらでも確認できます。
農林水産省のホームページ(https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1101/spe2_01.html)に掲載された奥村彪生さんの作画を引用
奥村彪生さんの作画では、富山県東部の魚津市に丸もち文化圏が割り込んでいます。「丸もち × 白みそ」とHOKUROKUの取材に答えた先ほどの知人の暮らす黒部市は魚津の東隣です。
再掲。魚津市、黒部市、入善町、朝日町の位置。白地図専門店の白地図をHOKUROKU編集部が画像編集した
レシピ検索サイト〈cookpad〉にも「具沢山!富山の雑煮(新川地区)」というレシピの投稿1が確認できて、
“新川地区でも魚津周辺は丸餅や味噌仕立てもあるそうです”(cookpadより引用)
との記述も見られます。どうして、魚津・黒部周辺の一角にだけ「飛び地」のように丸もち文化、場合によってはみそ汁文化までもが割り込んでいるのでしょうか?
黒部市の宮野山から眺めた黒部の風景。写真:黒部・宇奈月温泉観光局
この点について、残念ながら信頼できる情報を最後まで得られませんでした。しかし仮説は思い付きます。
日本の食生活全集16 聞き書 富山の食事(社団法人農山漁村文化協会)には、魚津を中心とした新川地区の特徴として閑散期の出稼ぎ文化に関する記述があります。
富山県東部の魚津周辺は全体に海と山が迫っていて、同じ県内の富山平野や砺波平野と比べると平野の面積が限られています。そのため昔から暮らしの中で漁業の占める比重が大きかったと言います。
しかも、同じ県内西部にある氷見のように定置網業を中心とした土着型の漁業スタイルでもありません。農地も持たない新川地区の専業漁師たちは北方を中心とした出稼ぎ漁業に積極的に出た歴史があると言います。
富山県東部は全体的に海と山が迫っており平野部が少ない。写真:黒部・宇奈月温泉観光局
日本の食生活全集16 聞き書 富山の食事(社団法人農山漁村文化協会)によれば、北海道の郷土料理である三平汁を食べる文化が魚津では見られると言います。北海道は、移民が集まった文化のるつぼです。
丸もちと角もちのお雑煮が共存する北海道で魚津の漁師が丸もち文化に影響を受け、魚津に持ち帰った可能性もあるはずです。
もちろんこの仮説は、たった1冊の本に書かれた情報だけを頼りに組み立てた想像上の話にすぎません。
どの程度の頻度で北方のどの地域に魚津の漁師が出稼ぎ漁へ出ていたのか追加で調べる必要がありますが、いずれにせよ、富山の一角には「飛び地」のように丸もち文化圏、さらには、みそ汁文化圏が見られるわけです。
この謎を解くヒントを知っている人は「オプエド」(コメント欄)でぜひ教えてくださいね。
(副編集長のコメント:旧北陸道から外れる能登のお雑煮を次の最終回では紹介します。)
https://cookpad.com/recipe/5848169
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