日常の気付きを自分だけでとどめない
―― ここまでの話だけでも須道さんが、どれだけ素晴らしい志を持った方なのか、よく分かりました。「それでも」という部分を聞かせてください。
若い人の登用を積極的に推し進める会社のスタンスは十分に理解できますし、実践もされていると思うのですが、そうは言っても、宿の総支配人には、いろいろな面で「分厚さ」が求められるような気もします。
ちょっとした民宿やゲストハウスの経営者ならまだしも、老舗旅館のブランドを引き継いだ、山代温泉の中心部にある、これだけの規模の旅館を、総支配人として切り盛りするとなると、さすがに難しい部分があるのではないでしょうか。
総支配人は施設の責任者です。仲間に相談できない、自分1人で決断しなければいけない部分もあるはずです。その決断が、山代温泉における「界」ブランドの評判を決定的に左右してしまう可能性もあるはずです。
判断に迷う時、あるいは経験や能力を超えた事態が持ち上がった時は誰に相談するのですか?
須道:その点については、星野リゾートの運営そのものについて説明させてください。
星野リゾートには、全国の施設をより良く運営するための「サポート部隊」的な立場の人たちが存在する場所があります。
―― 本社組織という意味でしょうか?
須道:星野リゾートは、本社とか本部という場所が存在しません。全ての職場が現場なのです。現場から発信し、現場から全てが生まれます。
―― 本社がないとは、本部機能がないという意味ですか? 登記上は、長野県軽井沢町が本社とされていますよね。
須道:そうですね、住所としては軽井沢が本社となっているのですが、とはいえ軽井沢が本社と言われてもピンときません。
全国の星野リゾートの施設がより良く運営できるように、ある場所に「サポート部隊」が存在しているという感覚が相応しいかもしれません。
本部長とか課長とか、偉い人たちが居る場所でもありません。その「サポート部隊」の中には、総支配人を経験してきたスタッフが存在します。
だからこそ、若いスタッフでも総支配人になれると思うのです。毎日、何かのハプニングが当然に起きるので、まるで修行のようではありますが。
―― 各施設の総支配人が経験豊かな誰かに相談できるといった仕組みは、他の業務にも当てはまるのですか。例えば、料理などはいかがでしょうか。
須道:はい。料理を担当する人間は通常、料理学校を卒業して星野リゾートに入社した料理の道を目指すスタッフです。
例えば「星のや」ブランドですと、コンテストに出るような腕利きの料理人が各施設におります。
―― 今、ちょっとネットで調べてみました。星のや東京の場合だと、浜田統之2さんのような方ですね。今は、いらっしゃらないかもしれませんが。
須道:「界」にも、全国の各施設に料理長が在籍していて、それらの料理長をとりまとめるような存在として総料理長が居ます。
―― 各施設の料理長の上には、先ほどおっしゃった「サポート部隊」のごとく、全体を見る総料理長が居るのですね。驚きと共に、ちょっと納得した部分もあります。
星野リゾートでの食事は、どこに泊まっても、イベントとして食事を楽しませてくれる印象があります。
「ハズレ」を限りなく減らしつつ、人々の満足する最大公約数のゾーンをしっかりと見据え、施設ブランドごとに特徴を出している印象も受けます。
その理由は、総合的な観点から食のブランドを支える総料理長の存在があったのですね。
ちなみに、その総料理長は、料理に関する方向性をどこまで決めているのですか?
須道:基本的なメニュー構成は総料理長が、「界」各施設で特徴が出るよう地域性を踏まえ、新しい食べ方・新しい調理法を考えて、ご当地らしい料理を開発します。
ただ「この土地にはこんな郷土料理があるから提供してみたい」という提案を現地の料理長が総料理長に出す場合もあります。
それを受け、総料理長と施設の料理長が一緒に見せ方や味付けのアレンジを考えます。
その場面に、総支配人やマーケティング担当、接客担当のスタッフも参加して、さまざまな視点から侃々諤々(かんかんがくがく)に議論して、メニューをつくり上げていきます。
―― 総支配人やマーケティング担当、接客担当のスタッフなどの現場からは、どのような意見が出るのでしょうか。
須道:「難しくてお客さまに良さが伝わりにくい」とか「これでは食べにくいのではないか」とか、接客担当の視点も重要ですから、立場に関係なくいろいろ意見を出してもらいます。
―― どうして、そこまでの議論をするのでしょうか。
須道:「界」のコンセプトである「王道なのに、あたらしい。」につながってくるからです。
地元の実情を踏まえた人の意見と、新しい食べ方・新しい調理法を提案したいスタッフの意見をぶつけ合うからこそ、地元の方が利用されても「いつもとは違って新しい」と感じていただけると思っています。
―― 単なる掛け声やスローガンで終わらず、コンセプトを実現するための具体的な手段としても、皆で話し合う仕組みが用意されているのですね。
スタッフ全員がマルチタスク
―― ところで、施設の料理長も、他のスタッフの皆さんと同じように異動があるのでしょうか? 異動がある場合、その土地の郷土料理をどうやって勉強するのですか?
須道:各地域間の異動が調理長もあります。「界」では全員が、マルチタスクで働いているので、基本的な働き方は皆さん同じです。
―― 「界」でいうマルチタスクとはどんな働き方ですか?
須道:接客なら接客、料理なら料理という感じで特定のスタッフが特定の業種に縛られずに、スタッフ全員が、清掃・接客・料理の盛り付け・配膳(はいぜん)を行う、星野リゾートの特徴と言えるような働き方です。
―― 学校で学んだ業種のプロフェッショナルになりたいと思う人が一般的だと思いますが、星野リゾートでは入社した先でいろいろ経験を重ねるからこそ、興味や方向性が柔軟に変わっていく可能性もあるのですね。
須道:学校での専攻とは全く違う分野に興味を持ち、その仕事にやりがいを感じているスタッフが多くおります。
例えば、接客担当から入って、施設の電球交換とか配管修理が面白くなり、FM(ファシリティマネジメント)を希望して働いている人もおります。
これは、マルチタスクゆえの変化だと思います。
―― 言ってしまえば料理長ですら、そのようなキャリアを歩むケースがあるのでしょうか。
須道:もちろん、料理を担当する人間の場合は通常、料理学校を卒業して星野リゾートに入社した、料理の道を目指すスタッフが中心です。
しかし、料理担当を経験した異業種のスタッフが、料理長になれるルートも存在します。
―― 現代社会に生きるわれわれは、こうしたからこうするみたいな、計算可能性の中で物事を考えがちです。
キャリア形成も一緒で、○○になりたいから、××の学校を出て、△△の会社に入るみたいな、因果関係で物事を考えます。
しかし、人生経験も乏しい中で考えるキャリアプランって、誰かのまねだったり、予定調和だったりする場合が多いのに、固定観念に縛られて、因果関係の外側に出られなくなるケースも多いと思います。
その点、マルチタスクを通じて、自分でも気付かなかった興味関心や才能に気付き、思いもしなかった方向に自分の人生が開かれ、導かれていく可能性が、星野リゾートの働き方にはありますよね。
全ての作業を属人化させない、誰かが辞めたり休んだりしても困らない組織をつくるという側面も当然あるとは思うのですが、働く人の人生を考えても、徹底したマルチタスクと柔軟なキャリアコースは素晴らしいと思います。
「お客さまに喜んでほしい」という気持ちが日々の原動力
―― とはいえ、真逆の視点から質問させてください。マルチタスクには、いい面もあれば悪い面もあるはずです。
誰もが何でもできるようになる反面、専門家が育ちにくいという面は間違いなくあります。
料理を担当する人は通常、料理学校を卒業して星野リゾートに入社すると、おっしゃっていました。やはり、長年のキャリアを積み上げないと厳しい業種は存在すると思います。
総支配人も同じではないでしょうか。若くても、知識や経験が足りなくても、県外出身者であっても、ゲストに対しては地域の窓口的な顔をしないといけないはずです。
「サポート部隊」的な存在にいざとなったら相談できるものの、目の前に居る宿泊客の前では、総支配人として自分1人で向き合わなければいけません。
例えば「近隣の漁港はどこですか?」「橋立漁港ではこの時期、何が捕れるのですか?」「どんな漁が盛んなのですか」などと質問された時「知りません」「ちょっと、聞いてきます」では総支配人として示しが付かないような気もします。
どうやって皆さん、新しい地域に赴任してから、地域について学ぶ努力をされているのですか? それこそ「修行」とおっしゃったように、各人に求められる努力と勉強量は大変なレベルだと思います。
須道:知識や経験も大事ですが、それ以上に、私たちなりの伝え方を大事にしています。
この土地に何十年も暮らしているような顔をするのではなく、よそから来た私たちが発見したこの土地の魅力をいかに、お客さまに体験としてコーディネートできるかを考えています。
一方で、努力については例えば、料理の器のすてきさを伝えるために、九谷焼の絵付け体験に業務時間外に出掛けたりしています。
こちらの施設では金継ぎ3体験をお客さまに提供していますが、この企画も、金継ぎの教室にスタッフが通い、割れた器を自分たちで修復していたという経緯から始まっています。
お客さんにもこれをぜひ体験してもらいたいという思いで、体験プログラムとして取り入れました。
(※編集部注:本格的な金継ぎの一部を体験できる専用の場所が取材後の2023年4月19日に旅館内に誕生。合成樹脂を含まない天然漆で仕上げる本格金継ぎが現在は楽しめる)
―― なるほど。外から来た人間が、その土地を新鮮な気持ちで楽しむ、その自分たちなりの「楽しい発見」をベースに、自分たちなりの伝え方を意識しているのですね。
確かに、その視点は、土地に長年暮らした人の知識や経験を上回る魅力になるかもしれません。
須道:人生経験も少なく、知識も付けないといけないので、おっしゃるとおり、かなりタフな仕事である点は間違いないと思います。
ただ、県外から来たスタッフたちが、その土地に溶け込んで生活しているだけで、いろいろな魅力に気付かされる側面もあります。新しい土地に行けば、お出掛けもしたくなります。
その日常を通じて得られる気付きがあれば、自分だけでとどめておくだけではもったいないという思いが、スタッフたちにあふれ出てくるようです。
―― 業務以外の活動を仕事にフィードバックする、経営者的な立場の人なら当たり前ですが、どうして一社員として、そこまで高い意識を皆さんが持てるのでしょうか。
須道:私たちは「お客さまに喜んでほしい」という気持ちが日々の原動力となっています。
その気持ちをベースにすると、私自身についても、プライベートの地域体験が仕事の現場に還元されている実感があります。
自分たちが発見した魅力をお客さまにも体験してもらいたいとの思いが自然な流れになっており、お客さまに喜んでもらうと、それがまたうれしくて励みになります。
その意味で言えば、ワーク・ライフ・バランスのいい循環も生まれていると思います。
―― 他の地域から来たスタッフが多いからこそ、プライベートでの体験も含めて、お客さんに近い目線で魅力を伝えられるという話ですね。
その発想で言えば、地域をまたいで行き来している若いスタッフがたくさん居る点も、星野リゾートの武器なんだなと強烈に思いました。なかなか、地元に根差した宿にはまねできないスタッフ構成だと思います。
須道:私もそう思います。そのような地域をまたぐスタッフの存在は「界」ブランドの企画力を上げていくための武器なんだろうなと感じています。
一方で、界 加賀で働くスタッフには、地元のメンバーもおります。そうしたメンバーたちは、マニアックに掘り下げる形で地域を知っています。
もし、青森に私が居れば、この「掘り下げる担当」を担うはずで、加賀に居る今は逆に「魅力を発見する担当」になっています。
着任して私は日が浅いので、新鮮な視点を持って加賀を見て「魅力を発見する担当」を務められています。このような役割の違いよって皆が貢献し合えるので、総支配人もスタッフも立場に関係なく同じ気持ちで取り組めています。
(坂本編集長のコメント:料理の器のすてきさを伝えるために、九谷焼の絵付け体験に業務時間外に出掛けるなど、人によっては、グレーな働き方だと思うかもしれません。「社畜」的な見方もあるはずだからです。
しかし、外部から見る限りの印象ですが、星野リゾートで働く人たちは「業務以外の日常で得られる気付きを自分だけでとどめておいてはもったいない」と本気で考えている節があるんですよね。
本当に、損得勘定を超えた何かに動かされている感じです。第1話で出てきた「私が大事にしていることと、会社が大事にしていることが、有機的につながっている」という側面もあるのでしょうが、何かもう1つ超えた感じ。言ってしまえば、利他の精神みたいな領域でしょうか。
「お客さまに喜んでもらうと、それがまたうれしくて励みになります」みたいな言葉もありました。やっぱり、誰かに喜んでもらえたという体験が、異なる場面でもスタッフの体を自然に動かすのかもしれませんね。
次は最終回、宿の歴史や体験プログラムのつくり方について話が及びます。)
3 破損した器を漆を使って修復する伝統的な技法。
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