〈憲法判例百選〉に掲載される
事の経緯その2
富山県立近代美術館や富山県議会議員、非公開派の人たち、富山県立図書館などの「天皇コラージュ」に対するそれぞれの対応をここまでで見てきた。
では、肝心の作者である美術作家の大浦信行氏は一連の事態をどのように受け止めたのか。
自らの作品が売却され、図録も焼却された始末について、美術館の役割放棄であり自殺行為であるとして裁判での争いを大浦氏は決意した。
なぜ「自殺行為」なのか。
“美術館には本来、館独自の判断で評価できる作品も進んでとりあげ、その価値を社会にさし示す批評機能があります”(美術評論家連盟、声明文より引用)
と美術評論家連盟は言う。
法的に言えば美術館とは、博物館法の「博物館」であり、地方自治法の「公の施設」にあたる。
公立美術館は美術品を提供し、住民の教養を高めるなどを目的とする「公的な場」とも考えられる。
その役割を考えれば、美術館資料を公正に取り扱うべき職務上の義務を負うと言える。
にもかかわらず、非公開派の意見を一方的に受け入れ「天皇コラージュ」を非公開・売却し、図録も処分したのである。
もちろん大浦氏も、いきなり裁判を求めたわけではない。
近代美術館の館長に対し、同美術館でのシンポジウム開催を提案し、
「お互いの意見を述べ合うことから始めましょう」
と呼び掛けた。しかし、近代美術館は断った。
署名を持参して大浦氏が美術館を訪れても「美術館の決定に何ら変更はありません」と副館長から繰り返されるだけだった。
話し合おうとする姿勢が見られない美術館の態度に大浦氏は失望し、美術館や行政を相手取って提訴に踏み切った。
大浦氏の動きとは別に、作品の公開を求める市民運動も大規模に展開される。今の平和な富山県の様子からは想像が困難かもしれない。
作品の公開を求めて市民運動を展開する公開派の県民ら34名も同じく提訴に動き出した。
公開する権利と観る権利
裁判では、2つの権利が問題となった。
美術作家である大浦氏の表現の自由がまず1つである。
「天皇コラージュ」の非公開措置や売却、図録の焼却により、自らの思想・表現を伝達する自由が奪われたと主張して、国家賠償請求訴訟を富山県に対し大浦氏は提起した。
2つ目の問題として、美術館の展示や図録を通じ「天皇コラージュ」を県民が観る権利、いわゆる知る権利も問題となった。
作品展示の不許可処分により「天皇コラージュ」を知る機会が奪われた点については疑いがない。
そこで、公開派の県民34名が国家賠償請求訴訟を富山県に対し提起した。
裁判の展開を事前に予告しておくと、富山地方裁判所で第1審が行われ、2000年(平成12年)2月16日には名古屋高裁金沢支部で第2審の判決が下されて、最高裁判所で同年10月に決する。
最高裁判所まで最終的に争いは持ち越された。
全国の法律家の間でも、この一連の訴訟(富山県立近代美術館事件)は「天皇コラージュ事件」と呼ばれ記憶されるようになる。
憲法判例を厳選して収録した大学生向けの教材〈憲法判例百選〉にもこの事件は掲載されている。
法律家の間で近代美術館はそれくらい有名な場所となったのだ。
(編集長のコメント:事の経緯の解説はここで終わりです。
著者の伊藤によってこれまでの論点が整理され、原告と被告の主張が次回に示されます。
双方の言い分のどちらに分があるのか考えてみてください。)
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