法律家の「謎解き」。弁護士Iからの挑戦状。(富山県立近代美術館編)

2021.08.29

第2回

表現の自由。

事の経緯その1。

事件のキーワードは「表現の自由」である。表現の自由と聞いて、どのような印象を受けるだろうか。

 

「表現の自由を守らなければならない」とのスローガンを文字どおりに理解すれば、反対する人は誰も居ないだろう。

 

しかし「表現の自由」をどこまでも守ろうとすれば、誰かが不快に思う表現でも尊重しなければいけなくなる。

 

2019年(令和元年)に愛知県で開催された〈あいちトリエンナーレ2019〉の展示「表現の不自由展・その後」が好例である。

 

同展の展示作品の中には、美術作家・大浦信行氏による映像作品〈遠近を抱えてPart2〉があった。

 

大浦氏は、富山県の生まれである。連作版画〈遠近を抱えて〉をはじめ版画などを多数製作し、国内外の展示会で表現活動を続けてきた。

 

 

「表現の不自由展・その後」に出展した大浦氏の映像作品の中には、昭和天皇の肖像をコラージュした版画が燃えるシーンも含まれている。

 

「昭和天皇を燃やすなんて失礼だ」「天皇制の批判だ」と抗議活動が大きくなり、全国の人が知る一大ニュースと発展した。

 

最終的に展示が中止に追い込まれた結果、芸術家の表現の自由や国民の知る権利の侵害なのではないかと問題になった。

 

まだ2年ほどしか時間が経過していない。北陸地方の「対岸」に位置する愛知の出来事であっても、多くの人が記憶しているに違いない。

 

大浦氏の作品である「天皇コラージュ」の騒動はしかしながら、2019年(令和元年)の愛知が初めてではない。

 

「対岸」どころかまさに富山を舞台にして、1986年(昭和61年)に「天皇コラージュ」を巡る裁判闘争が起きている。

 

まさに今回の「謎解き」が取り上げる裁判闘争である。

天皇コラージュ。

富山県立近代美術館の館内。撮影:大坪史弥。

 

「天皇コラージュ」と呼ばれる作品は先ほども書いたとおり美術作家・大浦信行氏による〈遠近を抱えて〉の連作版画である。

 

コラージュと呼ばれる手法を用いた作品で、昭和天皇の肖像と東西の名画・解剖図・家具・裸婦などの組み合わせで構成されている。

 

1986年(昭和61年)3月15日から同年4月13日にかけて、富山県立近代美術館主催の展示会〈86富山の美術〉が開催され、同氏の連作版画、いわゆる「天皇コラージュ」4点が展示された。

 

 

同展示会の出品作家や作品はどのように決定されたのか、大切な点なので正確におさらいしてみる。

 

富山県在住・出身の作家60人の中から30人が専門家会議で選考され、県立近代美術館の館長が意思決定した。

 

富山県立近代美術館に限らず美術館は、博物館法2条1項の「博物館」の一種とされる。いわば、社会教育法の精神に基づく「社会教育施設」の一種として位置づけられている。

 

原則として多数決で物事を決める民主主義の国家であっても、学問や教育の分野では、何が正しいのかを多数決で決めない。科学的根拠に基づいて判断する。学問や教育は政治的に中立でなければならない。

 

多くの公立博物館はそこで、博物館協議会(博物館法20条1項)を設置する。その協議会が、館長の相談に応じたり意見を述べたりする。

 

県立近代美術館も一緒だ。美術館を運営する富山県近代美術館運営委員会が博物館法に基づき設置されていた。

 

この委員会とは別に、収蔵品を美術館が適正に取得・処分するための諮問(しもん)機関として、美術品の収蔵の政治的中立性を確保する目的で、美術館収蔵美術品選定委員会を要綱により設置するケースも多い。

 

86富山の美術の際にも展示会に先駆け、富山県近代美術館収蔵美術品選定委員会が設けられ、同委員会が美術品の取得について審議した。

 

その上で館長が議論の末に意思決定し、当時の富山県知事であった中沖氏あてに意見書を提出したのだ。

 

「社会的な現象を一定のパターンにとらわれることなく、作者の個性が高く表現された作品である」との内容が意見書には記載されていた。

 

意見書を受けた富山県は、大浦氏から版画4点を1点5万円、合計20万円で購入する。美術館の学芸員から頼まれ、同じ連作の別の6点を大浦氏は寄贈までした。

 

これらの作品を含む展示内容を収録した図録を美術館は併せて製作した。あらゆる準備が手順どおりに進められた上で、展示会は開会を迎えた。

不快感を覚えた。

富山県立近代美術館のロビーの様子。撮影:大坪史弥。

 

スタート当初は何事もなく催しが続いた。

 

しかし1986年(昭和61年)6月4日、天皇コラージュの作品を展示会で鑑賞し不快感を覚えたとして、当時の県議会議員であった石沢義文氏や藤沢毅氏が、議会の教育警務常任委員会において作品選考の過程や意図を問いただした。

 

作品選定については先ほども書いた。

 

多くの美術専門家が「天皇コラージュ」を現代美術として高く評価していた背景もあった。

 

しかし県議会における質疑応答が翌日の地元紙で報道されると、作品に対する純粋な美的関心とは異なる市民の興味が、一斉に展示会へ向かったのだ。

「お蔵入り」となるはずだった。

 

「皇室の尊厳を守る」目的で天皇コラージュや図録の廃棄を求める団体が、富山県知事や近代美術館、富山県庁の職員らにすかさず抗議を開始した。

 

「戦後、天皇に対する不敬罪がなくなったのをいいことに、天皇の写真を悪用した作品を展示したことは問題である」

 

「美術館は法律論で表現の自由を主張しているが、法律論を超えた国民感情が納得しない」

 

などと電話や面談、抗議文により多数回にわたって抗議が続く。

 

美術作家・大浦氏との面談の要求、本件作品および図録の破棄、ならびに館長の辞職を併せて求め、県庁周辺および富山市内において街宣活動を展開した。

 

第1審で裁判官が後に「常軌を逸した不当な活動」と表現した街宣活動だ。

 

結果として同年6月11日、近代美術館の館長は「天皇コラージュ」を美術資料として保管するにとどめる館長見解をまとめ、同年7月18日に県議会の教育警務常任委員会で報告した。

 

館長の内心として、館長見解はあくまで当面の措置であり、いずれ公開するつもりであったとの情報もある。

 

それでも作品の安全や立ち会う側の安全も考慮し、作品の一般公開は中止となった。要するに、日の目を見ない美術館のコレクションとしてお蔵入りとなったのだ。

 

同年8月に刊行された美術批評誌〈裸眼〉7号はこの問題を特集し、お蔵入りに関して「終身刑!?となった芸術作品」と書いている。

 

同年7月12日の〈北日本新聞〉には一方で、天皇の肖像画と裸婦の作品で迷惑を掛けたと、知事が県議会で陳謝した様子が報じられている。

思わぬ展開。

 

収束するかに見えた騒動は、思わぬ方向へ展開する。

 

近代美術館の館長の決定からおよそ1か月後、富山県立図書館が美術館に対し、本件図録の寄贈を要請した。

 

86富山の美術の展覧会の図録(パンフレット)には当然「天皇コラージュ」を掲載したページが含まれている。

 

要請を受けた美術館の側は一般公開しない条件で図録1冊を同図書館へ送付した。

 

受け取った県立図書館は当面の間、図録を閲覧・貸し出ししないと決定し、住民による閲覧請求を実際に拒絶し続けた。

 

ところが請求を拒絶し続けた図書館に対して、日本図書館協会が今度は見解を発表する。

 

「利用者の知る自由を保障することを任務とする図書館として、できるだけ速やかに提供制限の措置を撤回または緩和されることを期待する」と見解を採択したのだ。

 

富山県議会の教育警務常任委員会においても、当時の県議会議員であった石黒一男氏が、図書館所蔵の図録の閲覧禁止解除を要求した。

 

県立図書館はこれらの動きを受け、1990年(平成2年)3月22日を予定日に図録を公開する方向に転換した。

 

準備期間の1989年(平成元年)7月30日〈毎日新聞〉朝刊には「早く公開したい」と県立図書館側の考えが報道されている。

 

同年の8月22日の〈中日新聞〉朝刊には、天皇図録公開に対する抗議を富山県立図書館が突っぱねる様子も報道されている。

 

そうした準備期間を経て寄贈から4年後にいよいよ図録は公開された。

図録が破られる。

撮影:大坪史弥。

 

ところが公開初日の3月22日、トラブルが発生する。

 

図書館所蔵の図録のうち「天皇コラージュ」が掲載されたページを非公開派の男Bが破り、逮捕される事件が発生した。

 

非公開派のさらに別の男Cが富山県知事室に侵入し、当時の中沖知事に棒で殴り掛かろうとする暴行未遂事件にも発展した。

 

 

富山県教育委員会は事態を重く見て、県立近代美術館美術品管理要綱に基づき「天皇コラージュ」を売却する。

 

富山県会計規則の手続に基づき図録の処分も1993年(平成5年)4月9日に決定した。

 

買うと決めた判断を専門家が世論でくつがえしたわけである。専門家が専門性を放棄して大衆迎合したとの見方もできる。

 

それでも「天皇コラージュ」と図録を所持する限り管理運営上の障害となり、社会問題化が避けられないと判断して、売却する方向へ一転してかじを切ったのだ。

 

適法な手続に従って天皇コラージュはほどなく売却され、図録は焼却される。

 

天皇コラージュと図録を目にする機会を県民は失った。

 

(編集長のコメント:一見すると穏やかに見える富山県ですが、知事室へ非公開派の男が侵入した事件が起きていたとは驚きです。

 

どのような展開をこの問題は見せるのでしょうか。引き続き事の経緯を読み進めてください。)

20世紀絵画の技法。フランス語で「張る」を意味する。紙・印刷物・写真の切り抜きなどさまざまな物を画面に張り付け、加筆などもして構成する。

1986年(昭和61年)7月9日。

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オプエド

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