法律家の「謎解き」。弁護士Iからの挑戦状。(富山県立近代美術館編)

2021.08.28

第1回

美術館の「自殺行為」

撮影:大坪史弥。

法律家の序言。

〈HOKUROKU〉運営メンバーにして弁護士の伊藤建です。

 

北陸3県にまつわる有名な裁判を取り上げ、論理と人情の交差点で悩んだ法律家の足跡を「謎解き」のスタイルでたどる連載の続編です。

 

血も涙もない論理の世界=法律と思うかもしれません。

 

しかし論理と人情がせめぎ合った末に、人間味を感じられる判決が出た有名な裁判が過去には意外に少なくありません。

 

北陸も例外ではなく、日本中の法律家が過去に注目した「事件現場」が現にあります。

 

法律家にとっての「名所」が身近な場所にあると思えば、見慣れた日常の風景にも新鮮な見え方が生まれるのではないでしょうか。

 

前回の連載で取り上げた「金沢市庁舎前広場編」では、裁判官の判決に対して法律家から異論がたくさん出ました。

 

今回の物語の舞台である〈富山県立近代美術館〉で起きた騒動も同じです。

 

キーワードは表現の自由です。

 

最後までぜひ読んで考えてみてください。

プロローグ。

富山県立近代美術館周辺の国道41号線。

 

北陸新幹線の停車駅・富山駅を降り立ち南口を出ると大きなバスターミナルがある。

 

南へ延びるメインストリートの県道41号線は地元の人に「41(よんいち)」と呼ばれる。駅周辺の並木道が実に美しい。

 

真っすぐ「41」を南下すると、進行方向の右手に富山城の跡地が現れ、富山にしては高さのある〈ANAクラウンプラザホテル〉の建物が間もなく目に入る。

 

この辺りから県庁所在地の中心部といった雰囲気が出てくる。

 

駅からここまでと同じくらいの距離をさらに南下すると、向かって左手に城南公園が見えてくる。

 

近隣の保育所や幼稚園に通う子どもたちも時間によっては遊ぶ緑の豊かな公園だ。

 

富山駅から行く場合、バスに乗って西中野口の停留所で降りるルートをお勧めする。

 

城南公園の北側にある富山市科学博物館の目の前をバス停から西側へ進むと、大きな四角い建物が奥に見えてくる。

 

物語の舞台となる富山県立近代美術館はこの建物である。

 

 

富山県置県100周年の記念事業として、建築家・前川國男氏の監修の下で1981年(昭和56年)に建てられた。

 

耐震性を理由に改修や移転の検討が2013年(平成25年)に始まり、〈富山県美術館〉として駅前に移転すると決まってから、2016年(平成28年)12月28日に閉館した。

 

2021年(令和3年)8月現在、近代美術館の跡地利用計画は定まっていない。

 

地元からは保存を求める声があるものの、再活用するためには5億円の耐震補強費用が必要と試算されている。

 

閉館から5年が経過した。5歳の子どもは近代美術館を知らない。市民の記憶も年々薄れていく。

 

しかしこの美術館を舞台に、美術館の「自殺行為」とも思える結末で片付いた大事件がかつて起こったのだ。

 

時は、1986年(昭和61年)である。

 

旧ソ連のチェルノブイリ原発が事故を起こし、アメリカのロケット・チャレンジャー号が爆発し、ハレー彗星(すいせい)が大接近して、有名なお笑い芸人が在京の出版社へ襲撃事件を起こしたあの年である。

 

著名な美術作家と富山県民らが富山県と争いを起こし、最高裁判所での裁判にまで発展した。その事件の発端となる展示会が近代美術館で同年に開催されたのだ。

 

(編集長のコメント:余談ですが、この文章の著者である伊藤建も1986年(昭和61年)に生まれたみたいです。

 

事件と同年に東京で生まれた著者が大人になり弁護士となって富山に移住しこの文章を書いている、どこか奇縁を感じますよね。

 

事の発端の詳細が次回以降に語られます。引き続き読み進めてみてください。)

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