川柳と俳句の違いも学べます。移住者たちの川柳「金猫賞」発表の話
vol. 03
俳句には季語が必要で川柳に必要ない理由
松尾芭蕉。写真:Wikipediaより
ここまで話が分かると川柳と俳句のテクニック上の違いも分かってきます。
どうして俳句にだけ例えば季語や切字が必要なのか。
ユーモラスな連歌(俳諧)の出だし(発句)を松尾芭蕉が独立させ、正岡子規が文学の域まで高めた短詩が俳句だと言いました。
言い換えれば5・7・5の俳諧の出だし(発句)は、この後に続く連歌の状況設定の句(それだけで意味が分かる句)なので、おのずと独立した世界観を持ちやすい傾向があります。
俳諧の連歌の発句(出だし)に次の句が続く例:
梅が香にのっと日の出る山路かな(発句)
処々に雉子(きじ)の啼(な)きたつ(脇句)
(松尾芭蕉『炭俵』より)
しかし、出だしの7・7音に対する当意即妙な回答が一方で川柳の本分です。
お題の7・7音の前ふりがあって初めて成立する短詩(前ふりへのコメント)なので川柳の独立性は俳句と比べて低くなります。
以下のような相違点も自然に生まれてきます。
- 句の意味を完結させる切字(きれじ)を俳句は必要とするが川柳は基本的に要らない。
- 句の季節を示す季語を俳句は必要とするが川柳は必要ない。
ちなみに切字とは、句の中で意味を完結させる「言い切り表現」です。
「~かな」「~や」「~らん」「~けり」などが具体的には有名です。季語や切字が俳句に必要な理由は独立した世界観を確立するためだと分かります。
先ほどの句(梅が香にのっと日の出る山路かな)で言えば「梅」が季語、「かな」が切字になります。
ここまでの壮大な前振りをまとめると次のようになります。
- 俳諧から受け継いだこっけいやユーモアを大切にしつつも俳句では文芸としての格調を保つ。こっけいやユーモアを一方の川柳では前面に強調する。
- 単独で世界観を確立するために俳句では季語と切字を使う。一方の川柳は前ふりに対するリアクションなので独立性が低く季語も切字も使わない。
- 季語を必要とする俳句は自然の風景が描写されるケースが多い。こっけいやユーモアを強調する川柳では一方で自然と人間を描くケースが多い。
(副編集長のコメント:〈HOKUROKU〉の「移住者たちの川柳」第1回の各賞は以上のような基礎知識を踏まえて選びました。次は、いよいよ、銅猫賞・銀猫賞の発表です。)
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