• 「富山の日本酒」はどれが一番おいしいの?

    (ここは、北陸にある、とある動物園です。飼育場所がたまたま隣り合わせのヒョウとカバが話している、そんな設定です。)

    ねえねえ、ヒョウさん、聞いて。

    なんだ。やぶから棒に。

    最近やっと「ハタチ」になってお酒が飲めるようになったんだよね。

    何の話かと思ったら……。フラペチーノの次は、人間の酒に興味を持ち始めたと。

    お前の食の関心には興味ないが、お前が生まれてもう20年もたったと思うと驚きだ。若いように見えて、もう人生の折り返し地点ではないか

     

    この動物園で生まれ、ずっとここで飼育されてきたお前は、もう少し長生きするだろうが。

    だから僕は、この動物園生まれじゃないって。

    やれやれ。時間の流れを人間の暦で把握している時点で、お前が野生を知らない証拠だとなぜ気付かない。

    じゃあ、ヒョウくんは何歳なの?

    ヒョウの一般的な寿命は、人間的な尺度で言えば野生で15年、飼育下で19年の記録がある。私は今、その記録を大幅に更新している。他の動物園のスタッフが私を視察に来る理由は、それだ。

     

    ただな、そんな人間が決めた数字なんて私には何の意味もない。間もなく自分は死に向かっている。そう直観している。それだけだ。もう十分に生きた。

    そんな風に言わないでよ。寂しくなるよ。

    お前に寂しがられても迷惑だ。

     

    全ての生き物はやがて死ぬ。その摂理を受け入れた上で、自然に開かれた感性で世界を眺めていると、晩年には晩年の美しさが感じられるようになる。

     

    無駄な同情も勝手にしてほしくない。

    それって、どういう意味?

    幸か不幸か、われわれは今、四季の移ろいの中に居る。その変化に富んだ世界を眺めていると、秋にも冬にも美しさがあるとこの国で知った。

     

    春の枝に花あり、夏の枝に葉あり、秋の枝に果実あり、冬の枝にはなぐさめがある。内村鑑三の詩だ。

     

    若いころが最も美しいわけではないと、この北陸の秋や冬の景色が教えてくれる。

    (カバは、耳をくるくる回している。)

    まあいい。

    それでさ、ヒョウさんはお酒にも詳しいの? 僕は「地酒」に興味があるんだ。なんか、大人っぽくてかっこいいじゃん。

    「地酒」という言葉を、お前の口から聞けるとはまた驚きだな。

    ヴォーヴォヴォヴォ! 褒めてくれてうれしい!

    別に褒めていない。大して期待せずに聞くが、何をもって地酒が大人っぽい、格好いいと判断しているのだ?

    僕を見に来たお客さんが「I ♥ 地酒」って書かれたTシャツを着ていたんだよね。なので「地酒」に興味があるんだ。

    恐ろしい仮説が浮かんでしまった。ひょっとするとお前は、地酒が何を意味するのか知らないんじゃないのか。

    知っているよ。お酒でしょ。酔えるんだよね。酔うって、どんな気持ちなんだろう。「地酒」がどんな種類のお酒なのかは分からないけど。

    人間界のコメディアンなら、ずっこけるところだな。

    なんなの?

    その土地、その土地で造られる酒全てを地酒と言うが、一般的には、各地で造られる日本酒を意味する。

    ああ、地元の日本酒だから「地酒」なんだ! 日本酒なら知っているよ。あの透明なやつでしょ? この辺だと、どの地酒が一番おいしいの?

    質問が雑すぎて、なんと答えればいいのか分からない。

     

    まず、北陸には酒蔵がたくさんある。県の酒造組合に加盟している酒蔵の数は、富山が20カ所、石川が33カ所、福井が30カ所だ。

     

    また、それぞれの酒蔵が、複数の銘柄の日本酒を出している。さらに、1つの銘柄にも、幾つかのバリエーションが用意されている。要するに、選択肢は膨大になる。

     

    文豪の谷崎潤一郎は〈文章読本 〉の中で、文章も日本酒も、訓練を受けた人は、だいたい同じような好みを持つに至ると語っている。

     

    基本的には同意見だ。だが、越えられない好みの壁はどうしてもあると私は考える。そして、お前の好みを私は知らない。

     

    そのような中で、どれが一番の日本酒か答えられるわけがないだろう。

     

    文豪って言葉、前にも聞いたな。どんな意味だっけ。

    自分で思い出せ。

    僕とヒョウさんの仲じゃないか~。まあ、文豪はいいとして、日本酒については何かお勧めをズバッと教えてよ。

    学ばないやつめ。お前の親はもっと賢かった。

    お前も、日本酒を学べば、お勧めを一概に言えない理由が分かるはずだ。

     

    かつて私は、富山県滑川市にある千代鶴酒造の黒田さんという人に日本酒を学んだ。

     

    大まかに言って日本酒は、特定名称酒(一定の水準を満たした日本酒)と普通酒(それ以外の日本酒)に分類できるそうだ。

     

    特定名称酒はさらに、本醸造酒・吟醸酒(大吟醸酒)・純米酒などに分類される。

     

    細かい説明は割愛するが、富山に20カ所、石川に33カ所、福井に30カ所ある酒蔵が、普通酒や特定名称酒を造っている。

     

    さらに、原料のお米そのものが違っていたり、製法が違っていたりするので、さらに細分化が可能だ。

     

    そのような状況で「どの地酒が一番おいしい?」と言われても容易には答えられないと分からないか?

     

    うーん。なんだか確かに難しそうだね。もう、すでによく分からないや。

    (カバは耳をくるくる回している。)

    酒蔵の数で言えば、北陸では富山が一番少ないんだよね。なら、お気に入りのお酒を富山で見つけてみようかな。富山の日本酒の特徴には何があるの?

    日本酒の有名な産地を調べると新潟や福島、秋田、福井など寒い地域が思い浮かぶはずだ。

     

    先ほどの黒田さんによると最近では、日本酒の地域差も無くなってきているそうだが、寒い地域では発酵がゆっくり進むので、繊細なお酒ができるといった特色がやはりあるらしい。富山も例外ではない。

     

    富山県酒造組合のホームページによると、富山の日本酒の甘辛度はやや辛い部類に入るらしい。濃淡度は、淡から濃の中間くらいだ。こうしたお酒を一般に「淡麗辛口」と呼ぶ。

     

    なんかその言葉は聞き覚えあるような。

    〈山田錦〉〈五百万石〉など、日本酒造りに適した酒米(さかまい、酒造好適米とも)の使用割合が80%を超えるといった特長も富山の日本酒にはある。

    そりゃ、どういうわけ?

    同じお米でも、食べるための飯米(はんまい)と、お酒を造るための酒米(さかまい)がある。

     

    他の産地における日本酒造りにおいては、日本酒に適した酒米(酒造好適米)を原料に使用する割合が、全国平均で20%強にとどまっている。この違いが、まろやかな風味として、富山のお酒に出ているそうだ。

    “現在「雄山錦」や「富の香」といった富山県独自の酒米が誕生し,富山の風土に合ったお酒が造られています”(〈富山県酒造組合の取り組み ~これからの富山のお酒~〉より引用)

    といった状況もあるらしい。

     

    それに富山は水も豊富だ。名水のわき水や北アルプスからの水がある。

     

    日本酒は、お米と米麹、水、場合によっては醸造アルコール10を混ぜて造る。

     

    言い換えれば、日本酒は原料が少ないので、水の果たす役割が大きく、この水の良さも、富山のお酒の味に影響している。

     

    また、酒造りの最高責任者である杜氏(とうじ、「とじ」とも)も、越後杜氏・能登杜氏・蔵元杜氏・社員杜氏とさまざまながら、お互い切磋琢磨(せっさたくま)しながら、情報交換や技術のさらなる研さんに励んでいるそうだ。

    とりあえずみんな、頑張っているという話だよね。

     

    いよいよ日本酒を飲みたくなってきた。で、具体的には何から飲んだらいいの? いろいろ銘柄があるんだろうけどさ。ちょっとくらいヒントをちょうだいよ。

    しつこいやつだ。仕方ない。

     

    強いて言えば、以前働いていたバイト先のすし屋で客に、インタビュー取材した結果が参考になるかもしれない。

     

    各人のこだわりがあって一筋縄ではいかない調査だったが、1つの目安となるはずだ。

    ヒョウさん、おすし屋さんでもバイトしていたの?

    そうだよ。

    ヴォーヴォヴォヴォ! そうだよって! さすがに、おすし屋さんは無理でしょう!

    握りはしないから大丈夫だ。ホール係だったからな。

    そういう問題じゃない気もするけど!

    職場での苦労よりも、バイト先に向かう途中、人間に飼いならされたイヌにほえられる方がよほど屈辱的だった。思わず食ってしまいたくなった。

     

    狩りなどの労働を与えられず、甘やかされたイヌは、ほえてはいけない相手すら見分けがつかなくなるのかもしれないな。

     

    まあ、そんな話はどうでもいい。とにかく、私のバイト先には富山の日本酒がたくさん置いてあった。そこで、どのお酒が人気なのか、常連客にインタビューしてランキング化してみた。

     

    順位付けの方法は、ベスト3の銘柄を協力者全員に選んでもらい、各人が選んだ1位に3ポイント、2位に2ポイント、3位に1ポイントを加点して順位を出した。

     

    アンケートを本当に取ったの?

    〈寿し晴11〉(富山市)というすし屋でな。

     

    アンケート回答者の数は12人。調査対象者が少ないので一般化はできないが、これ以上の人数に聞くと、ヒョウだと気付く客も出てきそうだったのでやめた。

    もう、ばれていたと思うけれど。

    マスクをしていたし、黒髪のロングヘアーのかつらをかぶって、女子大生のような格好でバイト先に出入りしていたから大丈夫だ。

     

    なんであれ、アンケート調査で上位に入ったお酒は次のとおりだ。

     

    第1位:清都酒造場(高岡市)〈勝駒〉

    第2位:林酒造場(朝日町)〈林〉

    第3位:千代鶴酒造(滑川市)〈千代鶴〉

     

    どれも知らない。

    3位は私が、日本酒を学んだ黒田さんの酒蔵だ。

    1位の会社はなんて読むの?

    「きよと」だ。酒の名前は「かちこま」。

     

    調査を行った場所が今回は、すし屋だったからこのような結果となったが、料理に合わせて最適なお酒が変わると考えると、他のお店で調査すれば結果は変わってくるだろう。

    最も売れている富山の日本酒(普通酒)という切り口で言えば、若鶴酒造(砺波市)の〈玄〉というお酒もあると北陸のウェブメディア〈HOKUROKU〉で読んだ覚えもある。

     

    これは、いいサイトだ。

    僕の好きな草や樹皮に合う日本酒は?

    答える気にならない。酒の造り手が、草や樹皮とのペアリングを想定していないからだ。

    それにしても日本酒って、知るほどに興味がわいてくるね。

    あとは「誰と飲むか」だ。気の置けない仲間と飲めばどんな酒も最高みたいだ。人間たちが言っていた。

    もしかして。

    もしかして?

    ヒョウさん、僕を、お酒に誘ってくれている?

    どこをどう解釈したら誘っていると思えるわけだ?

    もう、ヒョウさんったら~。一緒に飲みに行こうよ。

     

    あ……。

     

    ヒョウさん、ごめん。

    なんだ?

    (カバは不意に、尾を振り、ふんをまき散らし始める。)

    貴様、会話の途中で排便をまき散らすな。失敬なやつだ。

    ごめんごめん。怒らないでよ。つい、習慣でさ。

     

    とりあえず、おわびにごちそうするから、今度一緒に飲みに行こうね。

     

    背中が熱くなってきちゃたから水に入るけれど考えておいてね。

    (カバはプールの水に入る。)

    やれやれ。

    (鼻の穴だけを水面に出してプールにカバは沈んでいる。遠くで、シロテテナガザルの騒ぐ声が聞こえる。)

    関連:テリトリーソング~よく通る美しい歌声~

     

    気の置けない仲間たちか……。サバンナで暮らした仲間たちはもう生きていないだろう。

     

    生まれ故郷では、アカシアの大木が枯れ、天敵のライオンたちがわが物顔で同胞を襲っていると聞く。

     

    一方で私は、遠い東洋の国に捕らわれ、無駄に生を長らえている。晩年には晩年の良さがあるとうそぶいてみたが、情けない話だ。

     

    こんな風に、打ちのめされた気分の夜に人間は、酒を飲みたくなるのかもしれないな。

    ※ヒョウとカバの設定はフィクションです。しかし、富山の日本酒に関しては取材に基づいた情報を掲載しています。

     

    文:小島美音
    イラスト:ノグチマリコ
    編集:坂本正敬
    編集協力:明石博之・武井靖

     

    カバの寿命は、野生の環境下で40年ほど、飼育下で50年ほどとされている。

    宗教家にして評論家。札幌農学校(現・北海道大学)出身。教会的キリスト教に対して無教会主義を唱える。

    一般の読者向けに文章の書き方・読み方を分かりやすく記した谷崎潤一郎の文章指南書。

    純米酒に近い香りと風味を持ちながら、純米酒よりも淡麗でまろやかな日本酒。重量にして3割以上玄米の表面を削り、米こうじ、水、および醸造アルコールを原料にして造る。

    フレッシュでフルーティー、華やかな香りと繊細な味わいが特徴の日本酒。重量にして4割以上玄米の表面を削り、米こうじ、水、および醸造アルコールを原料にして造る。

    吟醸酒よりも雑味が少なくクリアで、フレッシュでフルーティー、華やかな香りと繊細な味わいが特徴の日本酒。重量にして5割以上玄米の表面を削り、米こうじ、水、および醸造アルコールを原料にして造る。

    うま味やコク、ふくよかさなどが特徴の日本酒。米・米こうじ、水を原料にするが、醸造アルコールを使用しない。米の精米具合によっては、純米吟醸、純米大吟醸などのバリエーションもある。

    酒造りに適した米の中でも特に上等とされる酒米。

    寒冷地の気候風土に合わせて開発された酒米の一種。

    10 サトウキビを主な原料として発酵させた純度の高いアルコール。クリアな味わいが特徴。

    11 実在のすし屋。Googleのレビューは4.2/5.0と極めて高い。富山県富山市内幸町9-2オレンジビル2F