人に頼まなかったら自分でやらなければいけない
坂上翔太さん(左)と久木(きゅうき)誠彦さん(右)。坂上さんはこの対談後、富山県富山市総曲輪でご自身のキャリアの中で2店舗目となる〈sogawa parfait lascoo〉をオープンする
―― 久木さん・坂上さん、お忙しい中ありがとうございます。〈HOKUROKU〉編集長の坂本正敬です。この対談をセッティングしたHOKUROKUから企画の意図を最初に説明させてください。
北陸の暮らしを豊かにするミッションを持つHOKUROKUでは過去に愛される場所のつくり方・拠点の立ち上げ方に関する特集を組みました。
週末のお出かけ先に困らない、魅力的なお店がそこかしこにあふれている北陸を実現するために、未来のオーナーに何か価値ある情報を届けられないかと思ったからです。
北陸の土地に愛されるカフェや宿や本屋や雑貨屋など人の集まる拠点を立ち上げようと、いわば「0」から「1」を立ち上げようとする人たちに向けてつくられた特集になります。
ただ「0」から「1」の難しさもさることながら「1」から「2」にステップアップする際には、また異なる難しさがあるのではないかと、いろいろ考えてみると門外漢ながら思えてきました。
異なる難しさどころか、さらなる拠点を立ち上げる時、1店舗目の経営を維持しながらのチャレンジなので思いどおりにいかずに苦労する、オーナーからすればもう不安しかない、これが正直な感覚ではないかと感じます。
そこでこの「次のお店」を出す心得について語ってくれる人が居ないか、協力してくれる人が居ないかなと思っていると、富山の滑川で人気のカフェ〈hammock cafe Amaca〉を立ち上げた経歴を持つ坂上さん1が、新たな出店を考えていると耳にしました。
ならばその坂上さんにインタビュアーになっていただいて、多店舗展開に成功している先輩経営者に話を聞きに行けば、価値ある会話になるのではと思いました。
その話を聞きに行く「相談相手」、言い換えれば取材対象者が、野々市や金沢にある大人気カフェ〈HUM&Go#〉の展開を中心にプロデュース業でも成功を収めている久木さん2という形になります。
久木さんは石川県の飲食業界におけるスターですし、HUM&Go#へ独身時代に今の妻とデートに来て「おしゃれだなあ」と感動した思い出が私個人にもあります。
HOKUROKUのプロデューサーにして、飲食店や宿を富山で経営・プロデュースする明石博之とも面識があったと聞き、声を掛けさせてもらいました。
今日の私は単純に書記役で坂上さんがインタビュアーを務めます。
店舗経営に関して全くの素人の私が聞くより、2店舗目を立ち上げようとしている経営者の坂上さんが質問をぶつけた方が、内容も具体的になって情報が価値を持つと思ったからです。
そのような仕立てて今回は問題ないでしょうか。
久木:分かりました。
―― では、坂上さん、よろしくお願いします。時々会話に割り込むかもしれませんが、基本的には最後まで引っ込みます。
坂上:分かりました。久木さん、はじめまして。坂上と申します。このような機会は初めてなので今日はすごく緊張しています。
久木:よろしくお願いします。
坂上:最初にお伝えしたいのですが、久木さんがやっていたジャマイカ料理〈キングストン・グリル3〉にはすごくお世話になりました。
2006年(平成18年)に石川の小松でサラリーマンになった経験があって、その時から何度も使わせてもらっています。
キングストン・グリル自体は2004年(平成16年)に出来ていますよね?
久木:そのころは小松に住んでいたのですか?
坂上:そうです。その後で富山に住み始めて、お店を出すようになりました。富山に引っ越して、ちょっと遠出に行こうと思った時、最初に来させてもらった場所がHUM&Go#4です。
〈HUM&Go#〉の店内
なので今日は、経営者目線と、北陸に暮らす30代男性の「ハムゴー」ファンとしての目線から、いろいろ教えていただければと思います。
久木:お願いします。
坂上:素朴な疑問から聞かせてもらいたいのですが、自分でお店を持つ前に飲食はどれくらいやっていたのですか?
久木:飲食家系に生まれていて、もともと家がすし屋でした。ただ商売をやっている家は親に遊んでもらえませんよね。
僕には妹が居るのですが、2人で寂しい思いをしていました。ですから自分が大人になったら、子どもがかわいそうだから、僕は店をやらないと思っていました。
高校を卒業した後は先生のつてで卒業生のイベント会社に就職して、代理店・イベント会社の下請けとしてテント1個からコンサートづくりまで、いろいろやらせてもらいました。
地元の大きなイベントを入社1年目で担当させてもらうなど、考える仕事の面白さに目覚めるきっかけにはなったのですが、力仕事が結局は主体の仕事だったので、入社した次の年の4月で辞めてしまいました。
その後は、後ろ向きなニートです。スーツを着て客引きをしたりして。片町繁華街、夜の方へ消えていきました。これも結局は1年で辞めてしまうのですが客商売がなんたるかを学んだ気がします。
久木誠彦さん
飲食の世界に入ったタイミングは、この後です。金沢にある〈strawberry cafe〉に雇ってもらい、3年間働く間に、人も居ないのですぐに店長やれと言われました。
それで気付いたら結婚と同時に独立していました。飲食店なんてやるもんかと思っていたのに、思い返せば自然にやっている自分が居ます。やはり血は争えないのかなと思います。
坂上:祖父も、お父さんも、すし屋さんだったのですよね。
久木:他の親族も飲食だらけです。そういった意味もあって、飲食店は好きですけれど、飲食店がマストかと言われれば、そうではないと思います。
飲食はツールであって、考える作業や時間が好きなんです。現場に入って料理をつくる仕事も嫌いではないのですが、考える仕事で1日中過ごしたいと本音では思います。
坂上:ただ自分でお店を立ち上げるとなると、考える仕事以外に体を動かさなければいけない業務が山ほどありますよね?
久木:はい。1店舗目をやる時、考える作業が好きなので、メニューとかホームページとかSNS(ソーシャルネットワークサービス)とか、ひたすらやっちゃうんです。朝から晩まで営業しながら。
のんびりと最初は夫婦でやっていました。別に家賃も安いですし、ご飯は売るほどあるので別にひまでも良かったのです。
でも3年目くらいでお客さんが音を立てて増えていきました。何なのか理由は分からないですがスタッフを増やさなければ対応できません。
にもかかわらず、自分でやりたい気持ちも忙しいのに変わりません。
いよいよしんどくなってきたので、ロゴやホームページなどクリエイティブな業務を例えば、デザイナーにやってもらったらどうなるのかなと思って見積もりをお願いしました。
お店の窓のロゴ
生まれて初めての見積もりは正直高すぎて度肝を抜かれました。「まじか?」と。でも、これを頼まなかったら、自分で全部やらなければいいけない人生がこの先も待っています。
そのデザイナーさんは、金沢にある和菓子屋〈茶菓工房たろう5〉のデザイナーだった人です。自分の頭の中をシンプルにしてお客さんに見せる作業を手伝ってくれました。
「じゃあ、この人にお願いしよう」と思って、全部を自分でやるのではなく人に任せるスタンスを始めました。そのころの僕には相変わらずとんでもない見積額でしたが(笑)
もったいないから、もう1店舗やってもいいかな
坂上:最初のお店キングストン・グリルが忙しくなり始めて、スタッフを増やしデザイナーにお手伝いをお願いするようになったという話でした。
時系列を整理すると、キングストン・グリルのオープンが2004年(平成16年)、飲食店の2軒目となるHUM&Go#のオープンが2013年(平成25年)です。9年ほど期間が開いています。
HUM&Go#の店内の様子
イケイケなお店の2店舗目として客観的に見て時間がすごく開いているような気がします。2店舗目の話はこの間になかったのですか?
久木:確かに長いですね。
坂上:例えば、建築士のような仕事は60歳になった時、脂がのるような職種だと思います。
一方で、スポーツ選手のように若い時にパフォーマンスの限界があって、そこから下っていく業種もあります。ご飯屋さんは後者だと思っています。定年まで自分の仕事があるとは思えません。
hammock cafe Amaca。撮影:柴佳安
そうした考えがあるからこそ、焦ってはいないけれど次を考えて、手を打っていかなければならないと思うのです。久木さんはどうお考えですか?
久木:なんでやったのでしょう。人が増えすぎちゃったという事情がまずあったと思います。
1店舗に15人のスタッフが居て正社員も4~5人居ました。しかも全員がすごくいい人で優秀でした。
坂上:座席数に対して人材が増えすぎたという意味ですか?
久木:そうです。本当にラッキーというか「なんでこんなにお客が来るの?」という状況が突然始まって人を雇わなければ回せないので人を雇いました。すると雇った人もいいと。
売上もある程度あるし活気もあるしスタッフもすごく有能な人が増えた気がして、何かもったいないからもう1店舗やってもいいかなと思った気がします。
坂上:理想的な展開ですね。
久木:プランは何個か立ててはいました。普通の商売はしたくない、でもニッチな商売もしたくない。
新竪町8の入り口に食堂の付いたシェアオフィスをやろうと思った時期もありました。
ただ、それも銀行の融資が通せなくて頓挫して、いい物件が空くのを待っていたら、もともと〈ファミリーマート〉だった物件の情報が出てきました。このHUM&Go#の店舗です。
HUM&Go#の外観。駐車場は満車状態
「ああ、あそこか。入りづらいけれど無駄に駐車場が広いので悪くないな」と耳にした時に思いました。
割とこだわりの食材を使った定食で行こうと最初は思っていましたが、コンロなど調理のためのフルセットが定食屋だと必要でお金もかかります。
ちょうどそのころサードウェーブの流れで〈ブルーボトルコーヒー〉が東京に来るというリリースが出ました。
―― ちょっと横からすみません。サードウェーブとか、ブルーボトルコーヒーとは何ですか?
坂上:インスタントコーヒーなどの普及で家庭にコーヒーが広まった時期をファーストウェーブ、〈スターバックス・コーヒー〉などのシアトル系コーヒーに代表される流行をセカンドウェーブ。
それに次ぐコーヒー本来の味わいや価値を重視するムーブメントが第3のコーヒー波・サードウェーブです。
ブルーボトルコーヒーとは、そのサードウェーブを代表するお店です。
久木:ブルーボトルコーヒーは、ハンドドリップがメインです。エスプレッソマシンを購入する費用が掛からないので、お金もそれほど掛かりません。
ハンドドリップだけでいいならいいなあと。それでカフェになったわけです。
ハンドドリップのコーヒー
要は、業務の形態は何でも構いませんでした。人の集まる場所を1つつくって、ワークショップとかをやりながら、自分と周りのかかわりを広げたかったので。
坂上:このお店の名前にもすごくセンスがあるなと思っているのですが、店名の由来は何でしょうか?
久木:店名はデザイナーが付けました。鼻歌のハミングとカフェで出るサンドイッチのハム。それでハミングアンドゴー。語呂がいいなと思いました。
坂上:すごく意外ですね。店名のネーミングは久木さんではないのですね。コンセプトについてはどうなのですか?
久木:ハムアンドゴーに関してはコンセプトも人任せです。
坂上:こちらも、ものすごく意外です。全て久木さんが徹底して決め切っているのかと思いました。
久木:何かをプロデュースしてほしいと人から依頼された場合は自分が決め切ります。人の依頼はある程度答えが分かるからです。
でも、自分の商売になると自分でお金を払うので答えが分からなくなります。ならば、誰かに話を聞いてもらって決めてもらいたい。その方がいいなと思います。
坂上:何でも自分でやりたいと思っていた人が、2店舗目を出すころには、店名からコンセプトまで全て人にお願いするくらい任せる人になっていたのですね。
(編集長のコメント:他人がやらない商売をやる理由について次の第2回では続きます。)
1987年(昭和62年)石川県生まれ。中高社会人とソフトテニス一筋の人生だったが「自分にしかできない何か」を求め退職。上京後の2013年(平成25年)に訪れた逗子海岸の海の家〈WILD BOAR〉で「思い出をつくる」真のサービスに出合う。生まれ育った能登半島七尾市の漁師町に似ている理由から富山県滑川市に〈hammock cafe Amaca〉を2017年(平成29年)起業プロデュース。富山県富山市総曲輪に〈sogawa parfait lascoo〉を2020年(令和2年)オープン。
https://www.instagram.com/sogawa_parfait_lascoo/
2久木誠彦(きゅうき・まさひこ)プロフィール。
石川県金沢市出身。2004年(平成16年)に金沢市内に飲食店開業。2014年(平成26年)に〈HUM&Go#〉を開業。石川県内に4店舗の直営店を現在運営。「おまめ舎」として野々市市の官民連携事業〈1の1 NONOICHI〉をはじめとするプロデュース・業務委託・ブランディング・デザインを手掛ける。
3 金沢の四十万(しじま)にあったジャマイカ料理を中心とする世界の料理が楽しめる店。
4 石川県金沢市と野々市にある人気のカフェ。
https://humandgo.com/
5 金沢の和菓子屋。お洒落なパッケージも人気。
https://www.sakakobo-taro.com/
6 金沢市の中心部。
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