「人が集まる場所」のつくり方をGNLの明石さん・BnCの山川夫妻と考える

2020.06.01

第2回

カフェができるならバーもできるんじゃない?

 

西出:都市部ではなく郊外に出店した結果、いろいろな反響があったと思います。現地に暮らしている方々の反応はどうでしたか?

 

さつき:そういえば最近、近所の方が喫茶店を井波に開いてくれました。理由を聞いたら、山川さんに中古物件を買われる前にやらなきゃって(笑)

 

明石:何かを始めようと思ってくれたのですね。

 

山川:僕たちが始めた当時は、高齢化とかで、どんどんお店がつぶれている状態でした。そんな背景もあったので自分のお金でお店を出す人が出てきてすごくうれしかったです。

 

西出:地元の方も宿泊されるのですか?

 

山川:結構利用されますよ。お酒を一緒に飲もうとか。娘さん夫婦がお盆・正月で帰省するからと利用してくれたり。布団を洗うなど、家族の迎え入れの準備が大変な場面で使ってもらっています。

 

さつき:あと「最近、井波すごいでしょ」って自慢してくれているのでうれしいですね。

 

明石:自分のまちに誇れる何かができたのですね。「もっと井波を見て歩いてよ。こんなにいいまちになったんだ」みたいな。

 

西出:それで「最終的には帰ってきなよ」という会話の流れですよね(笑)

 

山川:そうそうそう(笑)

 

富山県射水市新湊地区にある明石博之さんが経営の〈水辺の民家ホテル〉(正面中央)。1軒貸し切りスタイル。元漁師が暮らしていた町家をリノベーションした

山川:明石さんも、地元の方向けに宿泊割引を始めたのですよね?

 

明石:うちも始めました。自宅でのもてなしに限界を感じる人たちのニーズがあるので。

 

山川:やはり、宿泊施設は、クローズドな空間なので地元の方々に、積極的に泊まってもらう機会があるといいですよね。

 

明石:泊まってくれた人が「あの施設良かったよ」と言ってくれたり、いいインフルエンサーになってくれたりします。

 

山川:一番のインフルエンサーは地元の方ですよね。

 

井波のまち並み

西出:山川ご夫妻の活動を中心にすごく井波は盛り上がっていると耳にします。まちが盛り上がっていく起爆剤や法則については何か考えがありますか?

 

私の考えでは、カリスマ的なお店ができて、いいお店が追従してできてにぎわい生まれ、利便性があれば人口も増えていくように思いますが。

 

山川:まさにそれを、自腹でやり続けてる人が明石さんではないですか?(笑)

 

明石:そろそろもたなくなってきました(笑)

 

山川:でも、商売を始めたい人にはすごくいいモデルになりますよね。その土地に、先行するような場がないと実感がわかないというか。

 

明石:何かをしたくてモヤモヤしている人が多いじゃないですか。少し生意気な言い方になりますが、そんな人たちに「うらやましい」と思ってもらいたいです。

 

チャレンジする人たちが結果として増えればいいと思ってやっています。学生の方が相談に来たら無条件でお話を聞いています。数年後を担う人材は若者たちなので。

 

山川:六角堂に追従するように新湊8はお店が次々とできましたよね

 

明石:新湊でお店を出した人から「ここで商売がうまくいくかどうか(六角堂を)モデルとして見ていました」と後日談として言われました。

 

山川:〈BRIDGE BAR〉のスティーブンさんもそうですね。

 

明石:そうそう。ここでカフェができるのならバーもできるのではないかと。そうやって地元の人に愛される場所が増え、にぎわいが自然発生的に生まれていく。まちの発展にとってはそのような流れが理想的なのかなと思います。

 

明石さんプロデュース、山川夫妻設計で生まれた富山県射水市の新湊地区にある〈BRIDGE BAR〉。アメリカ人オーナーのスティーブン・ナイトさんが経営する

ちょっと一休み。西出さんの建築士ノート(井波編)

井波のシンボルである瑞泉寺(奥)とその門前町

山川さんたちの立ち上げた宿や飲食店がどのような場所に立地するのか、分かりやすく感じてもらうために、井波のまちについて、建築士の立場から思いついた感想をちょっとだけ書かせてもらいます。

 

彫刻のまち井波の歴史は瑞泉寺の歴史とイコールです。1581年(天正9年)に、織田信長配下の佐々木成政によって、瑞泉寺と井波の町屋は焼き払われてしまいました。

 

その後、加賀藩の前田利家の勧めによって1660年(万治3年)に本堂が復興されます。その時の堂棟建築の技法が井波彫刻の始まりとされています。

 

瑞泉寺の山門。写真提供:CORARE ARTISANS JAPAN

瑞泉寺の山門は豪快で、重厚感もあり見る者を圧倒します。この山門建築は、東本願寺(京都)の大工の手で工事が始められました。途中から、井波の大工に引き継がれた、総ケヤキの入母屋造りです。

 

そんな瑞泉寺を手掛けた大工たちが井波の町家をつくったので、重厚感のある建物がまちに多い印象がありました。構造材は太く、大きな部材が使われています。シャープな印象ではありませんが、堂棟建築の文化がつくったまちではないでしょうか。

 

門前町にある工房の様子

しかし、山川夫妻の建築は、そんな井波の伝統的な町屋とは印象が違いました。リノベーションなので井波の町家らしさも残っていますが異国情緒も少し漂っています。

 

その理由は、中国での設計を経験したバックボーンが山川夫妻にあるからだと思います。建築やまち並みには経験や文化が現れるのだと再認識しました。

 

 

例えば、〈BnC LOUNGE〉のアプローチはタイルの張り方に特徴があります。アジア建築に感じる雑さがありながら彫刻や日本建築の繊細さがうまく融合しています。

 

 

元料亭をリノベーションした宿〈TenNE〉の一坪にも満たない瞑想(めいそう)部屋も印象的です。

 

大きな部屋ほど天井は高く、小さな部屋ほど天井を低くするといった設計のセオリーがあります。しかし、そのセオリーを逸脱した吹き抜け空間になっていて、狭いけれど開放感がある心地いい不思議な空間でした。

 

井波のBED AND CRAFTに訪れる際にはこうした設計の面白さにもぜひ注目してみてください。

 

 

編集長のコメント:前半はここまで。富山県射水市の新湊地区へ座談の場所を移して「人が集まる場所づくり」の座談を続けます。)

富山県射水市新湊地区。漁師町の中心を流れる内川沿いに近年、小規模な商業施設が次々と生まれている。

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