見事な時間の変化
フロントホールで靴をぬぎ〈界 加賀〉の中へいよいよ足を踏み入れていきます。今回の取材では、リニューアルで新築したゲストルーム棟(新館)の最上階(8階)の部屋を準備していただきました。
8階建ての新館ビルティングには全48室あり、専用の露天風呂がそのうち18室にあって、バリアフリー対応の部屋もあるとフロントで説明を受けます。
チェックインを済ませ、エントランスを通過すると、ゲストルーム棟(新館)へ移動する前に、いったん外へ出る空間設計になっています。中庭を見ながら、エントランスのある歴史的建築物の旧館と増築棟の新館をつなぐ屋根付きの太鼓橋を渡ります。
旧館と新館をつなぐ太鼓橋の左右には、加賀の文化を感じさせるモダンな庭園がデザインされています。このモダンな中庭に挟まれた太鼓橋を渡る間に、伝統建築の空間から新築の空間への切り替えを、ナチュラルに肯定させる儀式が行われているように思えました。
素晴らしい仕事だなと思い後で調べると、数々の有名庭園を手がける植彌加藤造園6の仕事だと分かりました。納得の仕事ぶりです。
渡り廊下を渡り切った先にある、新館に入ってすぐの空間には、トラベルライブラリーがありました。
「界」ブランドのどの施設にも設けられているコーナーで加賀の場合は、新館の玄関口と言ってもいいような場所に設置されています。中央に見える書は、北大路魯山人7の書による通称「いろはびょうぶ」です。
地域や施設にちなんだ書籍もそろっているので、セルフサービスのコーヒーやハーブティーと一緒に、加賀の文化や歴史に関する理解を深められるコーナーとなっています。
書きそびれていましたが、フロントホールのある旧館の増設部分には、金継ぎ(きんつぎ)8のワークショップスペースもありました。
宿泊者が体験できる「金継ぎに触れるプログラム」は、施設のスタッフがこの地に着任してから気付いた郷土の魅力を、ゲストと共有したいという思いで始まったと聞きました。
ただ、関連特集に詳細は譲るものの、地元の金継ぎ教室に通っている妻を思い出すと、1~2泊で完成する作業ではないはずです。
その疑問についてその場で、部屋まで案内してくれた広報担当の柴田成美さんに聞いてみると「1泊2日で終わるように接着剤を使っています」と意外な返事がありました。
(※編集部注:取材時の情報。本格的な金継ぎの一部を体験できる専用の場所が取材後の2023年4月19日に旅館内に誕生。合成樹脂を含まない天然漆で仕上げる本格金継ぎが現在は楽しめる9 )
本来の金継ぎは接着剤を使いません。漆(木の樹液)を使って壊れた器を修理する日本独自の文化を金継ぎと言います。
しかし、見て楽しむだけでなく、触れて・作業して初めて深まる地域文化の理解もあるはずです。
「私たちの体験をきっかけに、本格的な金継ぎに興味を持っていただけたなら、加賀の別の工房で体験していただければと思います。
あくまでも、私たちはきっかけや気付きを提供できればいいと割り切って考えています」(広報担当・柴田成美さん)
この発言には正直言って少々驚きました。
「にせもののような金継ぎ体験を用意するなんて邪道だ」
と感じる人もきっと居るはずだからです。
しかし、旅の価値を高める仕掛けと割り切れば、旅館文化を継承する施設ならではのこだわりだとも解釈できます。
お客さんの体験価値を高めようと考え抜いた結果なのではないでしょうか。宿として、その割り切りが正しいのか、悩んだだろうとも想像できます。
「日本の温泉旅館は、郷土の魅力に触れられる最初の玄関口であるべきだ」
そんな考えが、広報の柴田さんの発言を聞いて、私の頭の中に自然に浮かんできます。
私の仮説を基点に物事を発想すれば、接着剤を使った簡易的な「金継ぎに触れるプログラム」も素晴らしい取り組みのはず。
温泉旅館ブランドの「界」は、郷土の魅力を体験してもらうプログラムがあって初めて、価値ある「玄関口」の役回りを演じられているのかもしれません。
正目の化粧材と表札が室内の上品さを予感させる
次は、ゲストルームへ向かいました。新しいビルディングではありますが、温泉旅館に泊まっているムードをゲストが味わえるように、空間のあちらこちらに工夫が見られます。
例えば、この部屋番号の表札も工夫の1つです。「らしさ」の演出のために九谷焼が採用されています。正目10の化粧材と九谷焼の表札との掛け合いによって、これから入る室内の上品さを、部屋の入口で予感させてもらいました。
私は、部屋の入り口の扉を開くこの瞬間が大好きです。いわば、宿泊体験のメインイベントと言っても過言ではありません。皆さんも、たぶん同じなのではないでしょうか。本当にドキドキします。
扉を開いてみました。部屋に入るころは、陽が沈みかけている時間帯です。
部屋の中の露天風呂だけは陽が落ちる前に撮影しておきたいと、お風呂に直行しました。設計者にとって、この部屋のハイライトは露天風呂なのだと、空間のつくりを見ると推察できます。
室内の洗面所とシャワールームから連続する形で専用の露天風呂がテラスにあり、部屋に面したテラスからもアクセスできる間取りとなっています。露天風呂を中心に部屋のメリハリを計算しているように感じます。
お風呂には、すでに湯が張ってあり、追いだき式なのでいつでも入れる状態になっていました。
取材で忙しく、日没の時間帯にお風呂に入れませんでしたが、夕暮れ時の露天風呂は、少々の罪悪感を覚えるほどぜいたくな気分が味わえるはずです。
当然、夕暮れ時や日の出前後など、マジックアワー11と呼ばれる時間帯の入浴体験を1つの売りと設計者も考えているはずで、そのドラマチックな瞬間とのメリハリをつけるために、部屋に入った時の印象をあえて控え目にしているのかなとも思いました。
この露天風呂を撮影している時、びっくりする出来事が起こっていました。
背後のミニキッチンで柴田さんが何かを準備し始めています。館内案内からずっと肩に掛けているポーチバックから小さな魔法びんの水筒を取り出し、湯飲みに湯を注いでいました。
「何をしているんだろう」
と見ていると、郷土の菓子と共に、おいしい加賀棒茶を準備してくれていたのです。
この瞬間におもてなしするためだけに水筒をずっとバックに入れていたんだと思うと、驚きを隠せません。
「部屋にもポットがあるのに」と思わず声を掛けると、部屋に置いてあるポットだとお湯をわかすまでに時間が掛かります。すぐにお湯を注げるよう工夫された、ゲスト全員に対するおもてなしのアイデアなのだとか。
こういったサービスをされてしまうとそれこそ、ゲストの側もいい客を演じなければとテンションが上がります。旅慣れた粋な宿泊客をゲストが演じれば、星野リゾートのスタッフはまた、こちらの気持ちを察して、さらなるサービスを返してくれるでしょう。
こうやって、ゲストとスタッフがお互いを高め合い、双方が洗練されていく泊まり方は、間違いなく「消費」では味わえない深い楽しみや喜びがあるとあらためてここでも強調させてもらいたいなと思います。
初見で伝わる魅力と時間経過によって伝わる魅力
いい感じの夕暮れだったので、館内空間の変化が気になって、ゲストルーム棟(新館)1階のトラベルライブラリーに戻ってみました。
空間づくりにおいて私は、初見で伝わる魅力と、時間経過によってじわじわと伝わっていく魅力の2段階が必要だと考えています。
界 加賀の場合、ゲストルーム棟(新館)1階のトラベルライブラリーからウッドデッキを介して、奥庭の茶庭へ出られる空間設計になっています。この庭が特に、見事な時間の変化を楽しませてくれました。
あらためて空間の位置関係を整理します。フロントのある旧館から新館へ向かうと、加賀友禅をイメージした九谷焼タイルのモザイク柄が印象的な中庭に面した渡り廊下(太鼓橋)があるのでした。その渡り廊下を通って、宿泊棟の新館へ向かう空間設計になっています。
その新館の入り口にはすぐにトラベルライブラリーがあり、新館の入り口から見て向かい側のトラベルライブラリーの奥に、歴史ある茶室と日本式庭園があります。
あらためて界 加賀全体の配置を〈Google マップ〉で確認してみました。
旧館(上の画像では敷地内右側の黒い屋根の建屋)と茶室(敷地内の左隅上の小さな建物)を挟むように巨大な新館(写真中央。灰色の屋根の建物)が建てられている空間配置が確認できます。
限られた敷地内で、伝統木造建築の建屋(長門やフロントホール)を減築して一部を温存し、茶室も残しつつ、圧迫感を押さえながら8階建ての新館ビルディングを新築するにはかなりの工夫が必要になったと考えられます。
設計者にとっては苦労の大きい仕事だったと思います。しかし、そのかいもあって、茶室周辺の奥庭が見せる時間的な変化の魅力は実に見事でした。ぜひ、夕暮れ時に訪れて、皆さんの目で確かめてください。
(編集長のコメント:第3回の学びを総括してみます。ゲストとスタッフがお互いを高め合い、双方が洗練されていく泊まり方を楽しもうという話になるのでしょうか。
スタッフのサービスに刺激を受けて、ゲストの側もいい客を演じなければとテンションが上がる。そのゲストの粋な姿に、サービスを提供する側の宿のスタッフもまた応えようとする。確かに、興奮しちゃいますよね。
ちなみに文中には、漆ではなく接着剤を使って「金継ぎ」を1泊2日で完結させる話もありました。
邪道と言えば邪道であり、本物の体験ではないかもしれません。しかし、本物に興味を持つきっかけづくりとしては機能を果たしているわけで、そのあたりを割り切って提供している自覚さえあれば、問題ないどころか、文化に対して貢献すらできるといった話だったと思います。
金沢の茶屋街などで、派手なレンタル着物を着て歩く日本人・外国人女性を見て、苦言を呈している金沢の重鎮と先日会いました。
「なるほどー」とその苦言をその時は納得して聞いていましたが、あの着物なども「本物」ではないけれど、本物の和装文化に興味を持つ入り口としてあらためて考えてみると、きちんと意義があるのかもしれないとも思えてきました。
ちなみに文中で補足したように、本格金継ぎの一部工程を体験できる施設も取材後に誕生しました。漆を使った金継ぎは時間の掛かる作業なので、あくまでも一部の体験に限られていますが、文化に興味を持たせる入り口として、パワーアップした印象がありますね。
さて次は第4回。お待ちかねの食事体験に続きます。)
11 撮影用語で、空の色が劇的に変化する夕暮れ時や日の出前後の時間を意味する。
12 天井の一形式で、天井の中央部分を周囲より一段高くとっている。
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