泊まる楽しみはもっと深い。新・北陸の宿。

2021.03.01

vol. 01

「気が済むまでホテルに泊まって勉強しなさい」

ちょっと前書き。

こんにちは。〈HOKUROKU〉プロデューサーの明石博之と言います。

 

これから始まる探訪記「新・北陸の宿」で紹介する宿は、もちろん北陸3県の宿泊施設になります。

 

気になる宿を訪れ、建築的な話、デザイン的な話をしながら、五感をフルに働かせた宿泊体験記をお届けする予定です。

 

はじめに、この連載を担当する私、明石博之の自己紹介と、私自身の宿に対する思い、この連載で書きたい内容のエッセンスをお伝えします。

 

プラスして、宿に泊まる際のちょっとした楽しむポイントについても、思い付くままに書き連ねていきます。

建築を「デザイン」に置き換えてみる。

プロデュースを担当した〈BRIDGE BAR〉(富山県射水市)撮影:山本哲朗。

私は建築デザインを伴う「場」のプロデュースを本業としています。しかし、大学時代の専攻はプロダクトデザインで、建築ではありません。

 

東京で働いていた時代に、地域活性化のコンサルタントとして、空き店舗の活用とか、公共施設の計画づくりとか、建築や空間づくりに携わってきました。

 

その中で、必要に迫られて建築を独学で深めてきた形になります。

 

総合プロデュースを担当した〈喜代多旅館〉(富山県富山市)の客室例。撮影:山本哲朗。

仕事のパートナーとして建築士がプロジェクトに参加する場合は、私が基本計画や運営計画などを主として担当し、ハードの部分を建築士さんに考えてもらいます。

 

ところが、役割分担で仕事を進めながらも、店舗の内装や施設のゾーニングなどを考えるプロセスを目の当たりにすると、口を出したい衝動にかられます。いや、実際には余計な口出しをしてきました。

 

明石博之。撮影:山本哲朗。

そうした経験を積み重ねていくうちに、建築をデザインに置き換えて見るようになります。同時に自分でも具体的なデザインワークをやってみたいと思い始めました。

 

かと言って、人様の大事なお店や、市民が利用する公共施設をいきなりデザインしたところで、依頼主に対する説得力や安心感は欠けるはずです。

 

初めて建築・空間をプロデュースし、自ら経営に取り組んだ〈カフェuchikawa六角堂〉(富山県射水市)

そこでまずは、自分や身内の建物のデザインから始めてみました。最初の取り組みは、自ら初めて経営にもチャレンジした〈カフェuchikawa六角堂〉です。

 

富山県射水市の新湊という地区にあった古民家をリノベーションしたカフェで、おかげさまで今では、年間で2万人以上が訪れるカフェとなりました。

 

カフェuchikawa六角堂の店内。

その後も、建築をデザインに置き換える発想で、場所をプロデュースし続けてきました。

 

事務所をつくり、和装を楽しむ町家オフィスをつくり、クラフトビールカフェをつくり、本格バーをつくりと、実績を重ねていくと、いつの間にか人様のお店や建物をプロデュースする仕事が本業にもなっていました。

 

空き家になった町家をオフィスにした〈ma.ba.lab.(まばらぼ)〉(富山県射水市)総合プロデュースを担当。

年間70泊くらい、多い年は100泊くらい。

一方でこの連載の主題である宿への興味は、利用する側としての「大好き」から始まっています。

 

勉強のために訪れた建物。国の重要文化財として保存される〈旧三笠ホテル〉(長野県軽井沢町)。現在は当時の様子を残した資料館になっている。

東京で地域活性化のコンサルタントをしていたころ、毎週のように出掛けていた地方出張の楽しみの1つが、宿選びでした。

 

当時の会社の規定では、宿泊手当の支給が1泊9,000円まででした。もちろん当時、9,000円もの予算があれば、どこへ行ってもそれなりのビジネスホテルには泊まれました。

 

しかし、その金額では収まらない宿を、地方出張先に見付けてしまう場合もあります。その時は、理由(言い訳)を書いて承認をもらう、駄目なら自腹出費しながら、泊まり歩いていました。

 

泊り歩いた宿の一例。しまなみ海道サイクリングの拠点となっている〈ONOMICHI U2〉(広島県尾道市)。

そのうち私は、積極的に言い訳せざるを得ない、人里離れた温泉旅館近くや、港町近くのシティーホテルなどを目掛けて仕事の用事をつくるようになります。

 

営業も頑張り、地方出張も頑張り、言い訳も頑張り、気が付くと30代そこそこの私は、手当や各種マイルなどを駆使して、自腹分を含め1泊2万円くらいする宿に泊まり始めていたわけです。

 

恐らく、コンスタントに年間で70泊くらい、多い年は100泊くらいしていました。東京でコンサルタントの仕事をしていた時代だけでも、出張で泊まった宿の数は軽く300軒を超えていると思います。

実業家との出会い。

泊り歩いた宿の一例。〈帝国ホテル東京〉(東京都千代田区)写真:Adobe Stock。

また、今の仕事につながる人生の大きな出来事として、実業家との出会いもありました。

 

当時まだ私は、30代前半でした。そんな若造が語る「将来、すてきな宿をたくさんつくりたい」という夢を応援するために、「気が済むまで都内のホテルに泊まって勉強しなさい」と、その実業家は今まで見た事もないゴージャスなデザインのクレジットカードを貸してくれました。

 

要するに、このカードを使って、どんどん好きなホテルに泊まっていいよという話です。

 

最初はだまされているのかもしれないと思いました。後で高額な請求が来ても大丈夫なように、恐る恐る1泊2万円くらいの部屋に泊まっていました。

 

しかし、その控えめな使い方では駄目だと思われたのか、次第に実業家の方から私の都合に合わせてホテルを予約してくれるようになりました。

 

例えば〈パークハイアット東京〉〈The Okura Tokyo(旧、ホテルオークラ東京)〉〈帝国ホテル〉など、いわゆる都内の高級ホテルです。

 

泊り歩いた宿の一例。クラシックホテルの代表格〈東京ステーションホテル〉(東京都千代田区)、メゾネットタイプの部屋。

しかも、普通の部屋ではありません。ホテルのデラックスルームやスイートルームでした。

 

予算にして、1泊20万~30万円。最初は生きた心地がしませんでした。

 

30歳そこそこの普通の会社員が、スイートルームに一人で泊まっている状況が、あまりにも現実離れしていたからです。

 

部屋の広さは100㎡以上です。リビング、ベッドルーム、その他にも階段下に置かれた一人掛けのソファなど、使い方さえ想像できない謎の空間があるわけです。

 

「この部屋を当たり前に使っている人たちは、どう楽しんでいるんだろう」と、当時の私の想像力では見当も付きませんでした。

 

それでも以上のような貴重な経験が、次第に宿に対する私の志向をつくり上げていきます。現在は自らも富山県内で宿を経営していますが、当然ながらその経営には、当時の経験が大変な影響を与えています。

 

自ら経営も手掛ける〈水辺の民家ホテル〉(富山県射水市)撮影:大木賢。

富山に拠点を移してからも、地域の数だけで言えば私以上に宿を泊まり歩いている妻と一緒になって、各地の宿に出向いてきました。

 

泊り歩いた宿の一例。元ホテルを「リノベ」した〈Hotel CLASKA〉(東京都目黒区)。惜しまれながら2020年(令和2年)12月に閉館した。ビル全体のコンセプトや空間デザインが素晴らしく、割切った大らかさも感じる各所のつくりは、非常に勉強になった。

今回の連載「新・北陸の宿」では、以上のようなキャリアや経験を総動員して、北陸にあるすてきな宿を語れればと思います。その途中には、私が旅をしながら身に付けた宿泊の楽しみ方のような話も、織り交ぜていければと思います。

 

ぜひ、最後までお付き合いください。

 

(編集長のコメント:コンスタントに年間70泊くらい。多い年で100泊くらい。ゴージャスなデザインのクレジットカードを気前良く貸してくれる謎の実業家との出会い。いきなり、想像を超える話のオンパレードですね。

 

これだけの経験を重ねていれば、確かに宿について語る資格は十分な気がしますが、どうでしょうか。

 

次は第2回。明石流の宿の選び方に続きます。)

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