保育所や展示ホールだけじゃない。シン・ゴジラ風の指令室に備蓄倉庫まである市街地の「司令塔」

2023.07.27

vol. 04

命と財産を守る

 

一通りの館内ツアーを終えた後、1階の交流・展示ホールに戻って、天童木工の机と椅子に座り、素朴な疑問をあらためて串田さんに聞かせてもらいました。

 

「そもそも論として、なんでこんな立派な建物を64億円以上を費やし富山県は建てたのでしょう?」

 

その始まりは、東日本大震災にまでさかのぼるそう。ご存じのとおり、東日本大震災が発生した年は2011年(平成23年)、5年後の2016年(平成28年)には熊本地震も発生しました。

 

その災害時、東北でも熊本でも、老朽化した県庁が機能を果たせなかった場面が多かったそう。富山の県庁も、なかなか歴史を感じさせる建物です。

 

その「渋さ」が味わいだと私は思いますが、災害時のような緊迫した場面で「渋さ」は不要です。建物の歴史的味わいなどは平時の話であって、大災害が起きた時に機能が果たせなかったら、富山に暮らす、あるいは滞在する人々の命と財産が守れません。

 

そこで、富山県庁の南別館の一部を取り壊し、耐浸水性・耐震性を兼ね備えた災害時の拠点を誕生させる話になったのですね。

災害時は建物内に缶詰になる

10階の備蓄倉庫があるエリア。一般の立ち入りが想定されていないエリアは、天井や壁などの化粧材を最大限に簡素化し、コストを下げている

 

今回の取材では事前に、撮影希望場所を伝えていました。その中で、撮影を断られた場所が2カ所ありました。県庁内保育所と10階の備蓄倉庫です。

 

県庁内保育所は、子どもたちの安全性やプライバシーを守るために、撮影禁止という意味は理解できました。では、同じく撮影を断られた10階の備蓄倉庫とはどんな場所だったのでしょう。

 

勝手な印象として災害時に、県内の避難者に配る水と食料が膨大に備蓄してある場所だと思っていました。しかし、串田さんによると違うみたいです。

 

「10階の備蓄倉庫は、県民向けの備蓄倉庫ではなく、職員向けの備蓄倉庫になります。災害時、県民の命と財産を守るために、この建物内に職員は缶詰になります。

 

その時、職員が生き延びて働くための備蓄が3日分用意されています。ご想像されるような巨大な備蓄倉庫ではなく、小規模な部屋なので、撮影いただいてもご期待に沿えないと思います」

 

との話。

 

「じゃあ、県民の備蓄はどうするんだ!」

 

と思わず、苦言を呈したくなる心配性な人も居るかもしれません。しかし、調べてみると、富山に暮らす・滞在する人向けの備蓄倉庫は各基礎自治体に存在するみたいです。

 

例えば、富山県滑川市の公式ホームページを見ると、市内3カ所の防災備蓄倉庫に、食料・水・生活用品・衛生用品・避難所資機材(段ボールベッドなど)、要配慮者用品(紙おむつやほ乳瓶、車椅子など)などが備蓄されていると分かります。

 

それぞれの避難者が、それぞれ身近な場所で身の安全を確保しつつ、業務に取り組む職員たちは、備蓄倉庫の備蓄品で生きながらえつつ、大車輪の働きをするわけですね。なるほど、という感じでした。

 

下の階から10階まで建物を貫く吹き抜け。建物内にこもる夏場の温かい空気を上昇させ屋外に逃がす設計になっている

 

〈HOKUROKU〉にしてはちょっと短めのコンテンツではありますが「あの建物は何だろう?」という疑問の答えは以上になります。

 

まち中にできた巨大な建物は、富山に暮らす・滞在する人たちの命と財産を、さまざまなリスクから守る司令塔だったという話。

 

一方で、にぎわいを生むために、1階と2階を開放し、3階~5階の研修室や会議室を貸し出しています。

 

机も椅子もありますので、富山の中心部に訪れた日はぜひ、立ち寄ってみてください。もちろん、石川の人も、福井の人も。その結果、各人の防災意識が高まるきっかけになればとも思います。

 

富山県ってなんだか、平和なイメージがありませんか? 「富山は災害が少ない」と地元の人からよく言われますし「立山が守っているから台風も富山を避けていく」という神話のような話も繰り返し聞かされます。

 

しかし、実際はかつて、災害大国だったわけです。石川県から富山県が明治の早い段階で独立した背景にも、繰り返し発生する水害対策の温度差があったからだと文献に記録されています。

 

石川の(加賀藩時代の)中心部から見たら「遠く」、歴史的にも搾取の対象だった富山の災害対策に石川県が本腰を入れないため、富山が独立を望み実現したとの話。

 

江戸時代末期には、立山カルデラの一部である大鳶山・小鳶山の西側斜面が大地震で山体崩壊し、常願寺川にその土砂がダム湖をつくり、2週間後と2カ月後に2回決壊して、富山平野が土石流で壊滅的な被害を受けた歴史的事実もあります。その時の土砂は4億立方メートル。その半分はまだ山に残っているみたいです。

 

富山市の洪水ハザードマップ(富山県防災危機管理センター付近の芝園、西田地方、中央、柳町、東部)も見てください。最大想定の時、まちの中心部はほぼ水没します。

 

土木などの力で、自然災害が最小化され、いろいろ平和ボケしているわれわれ現代の富山人ですが、もともとは災害大国に暮らしているわけです。

 

その事実を、花見のために、休憩のために、ちょっとしたパソコン作業のために立ち寄った富山県防災危機管理センターがあらためて気付かせてくれる可能性があります。防災グッズに関する展示もありますし。

 

究極的に言えば防災は、人任せではなく、個人の備えと構えが何よりも大事なはず。各人の責任ある行動の上で、富山県防災危機管理センターのような場所が初めて意味をなすわけです(と思います)。

 

その個人の意識を見直すきっかけをくれる場所が同センターです。繰り返しになりますがぜひ、近くに行った際には立ち寄ってみてくださいね。

 

 

プロデューサーのコメント:読者の皆さん、いかがでしたでしょうか。私たち編集部は、とても意義ある取材だったと感じています。

 

私たちのまちにある公共施設はちゃんと活用されているのか自分たちなりに検証し、どのような「かかわりしろ」が具体的にあるのかを人任せにせず考え、知らしめようと動けたからです。

 

行政は、宣伝が下手という事実があります。しかし一方で、関心を持って県民が情報を取りに行く努力も必要なのかなと思います。

 

今後のシリーズ全てが行政の建物巡りにはならないと思います。暮らしのそばにある、民間の謎の建物が、私たちの暮らしに密接した機能やサービスを実は展開しているという可能性もあります。

 

ちなみに、文中に何度も登場した天童木工さんの机と椅子ですが、特殊な加工しているので雨天でも使用できます。空間づくりの仕事を普段からしている私は、そのこだわりにも心打たれてしまったのです。)

 

文:坂本正敬

写真:荻矢陸央

編集:坂本正敬

編集協力:明石博之・武井靖

取材協力:富山県防災危機管理センター

参考:災害時の市の取り組み-備蓄- - 富山県滑川市
https://www.city.namerikawa.toyama.jp/soshiki/5/2/3/8119.html
富山県防災危機管理センター
https://www.pref.toyama.jp/1900/20221011.html
洪水ハザードマップ(地図) - 富山市
https://www.city.toyama.lg.jp/bosai/bosai/1010655/1011986/1010657/1006974.html
~「越中を水害から守りたい」~富山県誕生の歴史 - 富山県
https://www.pref.toyama.jp/1503/kendodukuri/shinrinkasen/kasen/kasen/kj00000327/kj00000327-001-01.html

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