• 金沢にはなんで「文豪」が多いの?

    (ここは、北陸にある、とある動物園です。たまたま飼育場所が隣り合わせのヒョウとカバが話している、そんな設定です。)

    どうした? ぼーっと空を見上げて。肌が乾燥するんじゃないのか。

    さっき、久しぶりに来たお客さんたちが「金沢市は文豪を多くハイシュツしている」って話していたんだよね。で、文豪って何かなって考えてた。「排出」だから不必要な何かなんだろうね。

    やれやれ。その場合のハイシュツは「排出」ではなく「輩出」だ。

     

    不必要どころか文豪は人間界の宝みたいに扱われている。肉食動物から見れば大差はないがな。

    で、文豪って何?

    難しい質問だ。文豪の定義は容易ではない。辞書を調べても「際立って優れた文学の作家」としか書かれていない。

     

    どのくらいの状態で「際立って優れた」と言うのか。「文学の作家」とはどこからどこまでを言うのか。「文豪」の意味を一概に言えない以上、多いも少ないも言えるはずがない。

    そりゃ、どういうわけ?

    恐らく、お前が耳にした会話の意味する「金沢の文豪」とは、徳田秋声(とくだしゅうせい)・泉鏡花(いずみきょうか)・室生犀星(むろうさいせい)の「金沢三文豪」を意味しているのだろう。

     

    徳田秋声・泉鏡花・室生犀星は全員、明治時代の似たような時期に金沢に生まれた。

     

    これだけ有名な作家(小説家・詩人)が金沢の土地からほぼ同じ時期に群がり出た事実は確かに特筆に値する。

     

    その事実に興味を持って過去に詳しく私も調べた経緯がある。しかし、調べるほどに「金沢=文豪が多い」と短絡的に言ってしまっていいのか分からなくなった。現に、専門家も疑問に感じるようだ。

    専門家って誰?

    金沢学院大学の副学長であり人文学部長でもある水洞幸夫教授と〈徳田秋聲記念館〉の上田正行館長だ。

     

    水洞幸夫教授については、石川の文豪たちを含め、石川県ゆかりの文学者を取り上げた〈石川近代文学館〉の専門委員でもあり、日本近代文学を専門とする人なので話を聞きに行った。

    そんなすごそうな人たちに、どうやって聞きに行ったの?

    鍵を持っていると言ったろ。いつでも檻は出られる。事前にアポを取って普通に会いに行った。

    でも、バレるじゃない。ヒョウだって。

    何度も言わせるな。どれだけ立派な人間であっても、文豪についてヒョウが質問しに来るなど想像しない。そこに、つけ込むすきがある。

     

    幸い今、人間たちはどこでもマスクばかりしている。おぞましい話だが、ヒョウ柄のコートもある。私の姿を見て「ずいぶん立派なコートだなあ」とでも感じるのだろう。

    さすがだねー。

    そこで、水洞幸夫教授と上田正行館長に「金沢に文豪が生まれやすい理由」を聞きに行くと「文豪」の定義でまずつまずいた。

     

    そもそも、水洞教授と上田館長の間ですら意見が異なっていたんだ。

    どんな風に?

    水洞教授の「文豪」の定義は次のとおりだ。

     

    「作家の中でも、特別に優れていると世間が認める人で、活躍した期間が長く、それなりに長生きし、最期まで精力的に作品を生み出した人、同業者の作家も含めてリスペクトされている作家」

    「優れている」って何が優れているの?

    お前にしては珍しく鋭い質問だ。どのような要件を具体的に満たせば「特別に優れている」と言えるのかは水洞教授も分からないと言っていた。

     

    一方の上田館長は次のように言っていた。

     

    「ノーベル賞級の作品を書いた人という定義であれば、川端・谷崎・芥川・太宰などが『文豪』と呼べる。ノーベル賞まで行かなくても、優れた作家という意味であれば『金沢三文豪』を含む、より多くの作家が仲間入りする。けれど『文豪』という言葉には時代性がある。辞書的な意味で『文豪』と使うのは不適切だ」

     

    「金沢は文豪が多いね」と人は言うかもしれない。しかし、最初の話に戻るが「文豪」の定義があいまいなので、多いも少ないも他の地域と比較できないという話だ。

    へー。じゃあ、動物園に来たお客さんたちは勘違いしていたんだ。

    いや。弁護するつもりもないが、勘違いとは言い切れない面もある。

     

    なぜなら「金沢が文豪を多く輩出している」というイメージを自治体や文化・観光分野の関係者が積極的に後押ししてきた側面も否定できないからだ。

    そりゃ、どういうわけ?

    例えば、1963年(昭和38)年に北國新聞社が〈郷土金沢三文豪展〉を開いている。

     

    石川近代文学館が1968年(昭和43年)に開館すると〈鏡花没後三十年特別展〉〈徳田秋聲生誕百年記念展覧会〉〈犀星没後十年記念展〉を立て続けに開催した。

     

    2000年(平成12年)前後に〈泉鏡花記念館〉〈室生犀星記念館〉、徳田秋聲記念館が開館してからの「金沢三文豪」をテーマにしたコンテンツは、館の内外を問わず枚挙にいとまがない。

     

    「金沢三文豪」の銅像まで金沢には建っている。

     

    要するに「金沢は文豪を輩出する土地」というイメージを各界の人たちが積極的に活用してきた背景があるのだ。

    でも、これだけ簡単に皆が思い込んでいるんでしょ。その3人以外にも何か理由があるんだよね。

    もちろん。「多そうだ」と感じさせる要因は他にも幾つかある。

    例えば?

    まず、江戸時代に加賀藩が知識や文化を大切にしていた背景がある。「加賀は天下の書府」と新井白石に言わしめるくらいだ。

    新井白石って誰?「書府」も意味が分からない。

    江戸時代中期の儒学者であり政治家だ。「書府」とは、書物を納めておく蔵、言い換えれば、図書館や書庫のような存在だと思えばいい。

    江戸時代っていつだっけ。

    もう忘れたか。細かく言ってもどうせまた忘れるだろう。だいぶ昔だと思っておけ。

    例えば、藤原定家が作成した源氏物語の写本〈青表紙本〉(あおびょうしぼん)の一部は、加賀藩主であった前田家の所有物としてしか現存されていない。今では、重要文化財に指定されている貴重な写本だ。

     

    文学の他にも、俳句・美術工芸品・謡曲・茶の湯・歌舞伎の興行なども金沢では大切にされてきた。

    ……。

     

    (カバは、耳をくるくると回し始める。)

    こうした知識や文化の地盤が、明治文化の振興をもたらし「金沢三文豪」の作品にも影響を与えたのだ。

     

    貸本文化が盛んだった土地柄もある。泉鏡花や徳田秋声は、尾崎紅葉の〈二人女房色懺悔〉という貸本に感動して作家を志した。

    ……。

    おい。聞いているのか?

    聞いているよ。

    でも?

    難しい……。

    難しい?

    言葉が全部。

    全部ときたか。まあ、細かい言葉はどうでもいい。要するに、知識や文化を大切にする土地柄が昔から金沢にはあるとだけ覚えておけ。

    それが、文豪のイメージにつながっていると。

    さらに、金沢の場合は、第四高等中学校(後の第四高等学校)の設立も「石川県(金沢市)=文豪輩出のまち」のイメージをつくった要因に挙げられるそうだ。

    また、難しそうだなぁ。

    高等中学校とは、帝国大学への予備教育として、大学予科課程の整備のために明治政府が建設した教育機関の1つだ。

     

    この学校で学んだ人たちが「金沢三文豪」や風土に触れ、金沢と文学の関係を見出していった。

    ほとんど分からない。今日のヒョウくん、ちょっと難しすぎだよ~。

    やれやれ。要するに、学校で学ぶ若者たちが「金沢三文豪」に影響を受けたと考えるがいい。

     

    その若者たちが文学者として、自分たちでも作品をつくるようになると「金沢三文豪」や彼らの作品を絡ませながら、金沢と文学との関係を発信していったんだ

    「スタバ」のフラペチーノを食べる僕のパフォーマンスを誰かが受け継いでくれるって感じかな?

    まあ、それでいい。

     

    繰り返すが、今言ってきたような背景をフル活用して、各界の関係者たちがイメージ戦略を打ち出してきた。

     

    だから「文豪を多く輩出してそう」な雰囲気が金沢には出来上がっているんだ。

    確かに、なんか雰囲気あるよね。それっぽい感じの。

    金沢大学でもかつて教えていた作家の古井由吉さんは「小説家にとって非常に書きやすいまち」と金沢を表現している。

    書きやすいまち?

    金沢は、歴史や文化が濃縮したコンパクトなまちだ。少し歩くだけでいろいろなタイプの人間とすれ違える。

     

    さらに、浅野川と犀川が市内を流れていて、多くの坂が存在する。この川や坂が境界線の役割を果たしている。

     

    川のこちら側とあちら側、坂の上と下の世界をつなぐ橋や坂でドラマを起こしやすいんだ

    金沢の坂道、確かに大変なんだよ。この前なんか〈辻家庭園〉に行くために長良坂を登っていたら、途中で息が切れちゃって諦めて川まで戻っちゃった。

    特に興味はないが、話の腰を折られたついでに一応聞いておく。何しに行ったんだ?

    紅葉が見たくて。

    お前の目は色をとらえるのか?

    もちろんだよ。心で見るの。あ。

    どうした?

    お肌がヒリヒリしてきちゃった。

    またか……。

    (カバ舎のプールの水にカバが入る。)

    ヴォーッ、ヴォッヴォッヴォッヴォ

    ヴォーッ、ヴォッヴォッヴォッヴォ?

    「気持ちいい」って意味だよ。

    便利な言葉だ。おい、プールの魚が一斉に近寄って来たぞ。そんなに体をつつかれて気持ち悪くないのか?

    (気持ち良さそうなカバは水の中で何も答えない。)

    まだ、話は終わっていないんだがな。

     

    なんであれ、少なくない人たちに「金沢は文豪を多く輩出している」と感じさせている。

     

    ならば、文化や伝統、学問の振興を大切にしてきた加賀藩の姿勢が、令和の現在にも受け継がれていると言えるかもしれない。

    (カバは、水の中で何も答えない。)

    やれやれ。退屈しのぎにもならないのか。

    (カバは何も答えない。)

    まともな話し相手も居ない中、遠い国で私は檻に捕らわれている。

     

    むなしく日々を過ごすこの境遇を「金沢三文豪」ならどのように表現するだろうか。

    (檻の中からヒョウはアフリカの方角の空を見上げる。)

    「いろ青き魚はなにを悲しみ

     

    ひねもすそらを仰ぐや。

     

    そらは水の上(へ)にかがやき亙(わた)りて

     

    魚ののぞみとどかず。

     

    あはれ、そらとみづとは遠くへだたり

     

    魚はかたみに空をうかがふ」

    (フラミンゴの群れが遠くの方で不意に激しく鳴き始める。)

    あぁ。フラミンゴたちが騒ぎ始めた。あいつらもかわいそうに。

     

    せっかくの翼を持ちながら、羽の一部を切られ、狭い場所に押し込められて

    ※ヒョウとカバの設定はフィクションです。しかし、石川県(金沢市)の文豪に関しては取材に基づいた情報を掲載しています。

     

    文:松田華奈
    イラスト:ノグチマリコ
    編集:坂本正敬
    編集協力:明石博之・武井靖

    お金を取って書物を貸す本屋。

    昭和後期から平成に活躍した小説家。1937年(昭和12年)生まれ。金沢大学・立教大学(東京)でドイツ語を教えた後、1970年(昭和45年)に作家生活に入り〈杳子(ようこ)〉で芥川賞を受賞する。

    この動物園では、カバの水槽に一緒に魚を泳がせ、カバの皮膚の汚れやふんを食べさせている設定。

    室生犀星の処女作の詩より引用。

    フラミンゴの放飼場に屋根を設けない動物園では、飛ぶための硬い羽(風切羽・かざきりばね)の一部を飼育員がカットしているケースが多い。