何年か前、富山県の成長戦略を考える会議に2回ほど参加し、スポーツ(その時は、バスケットボール)を通じた非日常体験がもっと身近になるような施策に取り組んでみてはどうか的な発言をしました。

 

「富山には(石川・福井には)何もない」という言葉の正確な定義は「自分の地元には、非日常体験(ワクワクやドキドキ)がない(極めて少ない)」のはずです。

 

そのワクワクやドキドキを、手っ取り早く社会の中で提供してくれる機会と空間と言えば、お祭りとか、音楽ライブ(フェス)とか、プロスポーツ観戦とかです。

 

昨日も、プロサッカーチーム〈カターレ富山〉のプレーオフ準決勝に家族と出掛けました。

 

ホームチームの応援席で、裸になりながら飛び跳ねて叫んでいる成人男性2人を見た時「何もない地元を一変させるパワフルな手当てはスポーツだよな」とあらためて思いました。

 

失業率の低さだとか、離婚率の低さだとか、持ち家率の高さだとかを富山の(北陸の)「幸せのしるし」と考える人も一部に居るみたいですが(もちろん、素晴らしい話なのですが)、そんな風に決め付けたまま進んでいって大丈夫なんですかね。

 

それらの数字は正しいとして、それらの数字を強いる社会的な重たい空気があり、それらの暮らしを維持するためのすさまじい「忍耐」と「我慢」が北陸にはあるわけです。

 

同調圧力ばかりが強い社会の中で、忍耐と我慢と「常識」を強いられる人生が嫌で、若者たちは逃げ出したくなるのではないでしょうか。

 

欧米の諸都市のように、サッカーやバスケやアイスホッケーなどのプロスポーツチームが身近に存在し、その応援で定期的に大騒ぎする、そんなガス抜きがたっぷり用意されている社会だからこそ、北陸各県の安定した暮らしの魅力も、より際立つのではないでしょうか。

 

国民体育大会のために、陸上競技と球技の兼用スタジアムを自治体は過去に建設しているわけです。地元プロスポーツのために専用スタジアムをあらためて用意してくれてもいいんじゃないかと。

 

その上で、プロスポーツチームを指定管理団体にする、金沢スタジアムのような流れが(賛否もあるみたいですが)もっと広まるといいですよね。

 

とりあえず、そんな風に考えながら、カターレ富山のプレーオフ決勝にも足を運んでみよっと。〈富山グラウジーズ〉の試合も年内には行ってみたいなー。

 

今週も〈HOKUROKU〉をよろしくお願いします。

 

HOKUROKU編集長・坂本正敬