〈HOKUROKU〉とは別の媒体で執筆のために過去の史料を調べていたらちょっと意外な情報が出てきました。

 

明治維新があり廃藩置県があり鹿児島で西南戦争が終わり侍の時代が幕を閉じた1877年(明治10年)ごろ、現在の富山県と石川県と福井県の半分くらいが1つの石川県に統合されました。

 

現在の石川県と区別して「大石川県」と呼ばれる時代ですね。鹿児島で侍の時代を取り戻そうと戦った人たちが居た一方で着実に新しい方向へ時代は進んでいたわけです。

 

1878年(明治11年)に出版された〈石川県管内図〉にはそれこそ現在の北陸3県(福井の若狭地域と越前の一部を除く)をまとめたような「石川県」の地図が掲載されています。

 

明治時代の初期には北陸に限らず日本全国で県境が都合良くあちらこちらで移動していました(県境なんてその程度の扱いでした)。そのたびに県が割れたり合併したりを繰り返していたわけです。

 

日本全国の人口はこの当時3600万人程度です。現在の3分の1以下です。

 

この3600万人が日本各地の自治体に割拠するわけですが、最も人口が多かった自治体は当時どこだったと思いますか?

 

日本で最も人口の多かった自治体はびっくり仰天、石川県(大石川県)でした。その数は180万人ほど。

 

石川県の次は新潟県や愛媛県など続いていました。今とは全く異なる姿を当時の日本は見せていたのですね。

 

生まれてから今に至るまで自分の目で見てきた日本しか現代人は知りません。人口の大部分は東京や大阪を中心とした大都市圏に集中していて、北陸を含む地方は人口減に苦しんでいる、そんな状況がずーっと続いていると錯覚してしまいます。

 

しかし100年から150年単位で時代は目まぐるしく変わっていて、人々の行動や意識を良くも悪くも縛る「常識」も意外に弱い基盤の上にしか立っていないのだなとあらためて思いました。

 

今の暮らしや北陸に対する見方が大きく深まったり変わったりするきっかけに、こうした歴史の知識は本当に役立ちます。

 

長編の読み物だけでなく気軽に楽しめる短い読み物だとかコンテンツをHOKUROKUは現在準備しようとしていて、北陸への見方が深まる・変わる歴史雑学のようなコンテンツもその中で用意する予定です。

 

それらのコンテンツ群はマンネリ化した日常に対して新鮮な変化を与えてくれると信じています。

 

今年の末から年明けごろに掛けてモデルチェンジを予定しているHOKUROKUを楽しみにしていてくださいね。

 

HOKUROKU編集長・坂本正敬