昨日の夜遅く、リビングで原稿を書いていると〈LINE〉のグループチャットが鳴りまくって、そのたびに手が止まりました。パソコン画面でLINEを送受信する機会が多いので、メッセージが届くと、作業中のパソコン画面に受信のお知らせが出てきてしまうわけです。
ちょっとしてからミュート機能を思い出して静かにさせましたが、ミュートする前は、同窓会の二次会でカラオケへ繰り出した現場の様子を、酔った勢いでテキスト中継する中学校時代の友達のメッセージが、届きまくりました。
そのメッセージには「日曜の夜にごめん」「でも、いつ死ぬか分からないから今を楽しもう」みたいな言葉があって、しらふの私は「うるせー(笑)」と思いながらも結局は、気になって現場実況をちらちらチェックしてしまいました。
きっと、一晩たった現在の彼は酔いがさめて、昨晩に自分が発信したテキストの数に青ざめているはずです。
ただ「いつ死ぬか分からないから」という決まり文句(クリシェ)は、この同窓会メンバーの中では結構、リアルな響きを持ったフレーズです。学年内で最も元気だったムードメーカーがちょっと前に早逝したからです。
「生死は自然現象だから、これを計算に入れてはいけない」「生きるも死ぬも、物の一表現にすぎぬ」と坂本龍馬は言います(厳密には、自身の小説で坂本龍馬を書いた司馬遼太郎が?)。
しかし、凡人の私としては、友人の死や旧友との再会、子どもの卒園や知人の子どもの大学入学などを通じて生死の問題を考え、その都度、大きく心が動かされてしまいます。親や自分の限りある人生を思い、子どもたちに用意された輝かしい未来を想像すると、感動したり、涙を流したりしちゃうわけです。
まぁ、生死の問題に激しく右往左往しながら今後も生きていくんだろうと思いますし、時代が時代なら格好悪い生きざまかもしれませんが、右往左往しながらも身の回りの人たちを大切にできたら、〈HOKUROKU〉を少しでも意味のあるメディアに育てられたら、人生上出来じゃないかと思っています。
そんなこんなでHOKUROKUを今週もよろしくお願いします。数時間後には、産業観光に関する新たな特集の打ち合わせ。楽しくなるぞー。
HOKUROKU編集長・坂本正敬