福井県で発行される雑誌〈月刊fu〉だとかウェブマガジン〈ふーぽ〉で編集長を務める人に先日、取材させてもらいました。

 

文章の書き方に関するテーマで話し合っている時、その人は「自分の書いた文章が、公開前の編集段階で他の編集メンバーに直されると、すごくうれしい」と言っていました。

 

媒体に寄稿するライターや編集部の編集者にも、事あるごとに「文章を修正されたからといって、人格を否定されているわけじゃない」「よりよい文章を読者に届けられるチャンスだ」と伝えているみたいです。

 

この言葉、激しく共感します。〈HOKUROKU〉を創刊して以来、私が最も編集部内で大切にしてきたカルチャーは、この「仲間からの指摘や修正を喜ぶ」です。

 

どうしても文章には、書く人の人格や思想、生きざまが出ます。その文章を修正されると、自分を否定されたような気持ちになって、傷付いたり、防衛的な反応を示したりしてしまいがちです。

 

しかし、客観的な立場からの修正指示を素直に受け入れる、少なくとも検討くらいはする方が、最終的に読み物が素晴らしくなる可能性は高いです。経験則的に言って。

 

さらに言えば、文章は自分(書き手)の名前で出るわけです。

 

その文章がどれだけ編集者の手によって直されていようとも、普通の読者は「すてきな文章」という評価を、編集者には与えません。書き手に与えます。

 

最終的な評価を独り占めできるのですから、文章を直してくれる人たちを「利用する」くらいの気持ちで、書き手は修正や意見をどんどん周りに出させた方が、自分が得するのですね。

 

今週公開の特集「考える技術」(プログラミング的思考編)でも、似たような話が出てきます。

 

テーマは考える技術。考えた末に生まれた自分のアイデアや意見を誰かに否定されると、ちょっと気分が害される、ちょっとどころかかなり気分が害されて、感情的になってしまう場面もあると思います。

 

テレビで放送される討論会などでは、出演者が話し合っているうちに、けんかに発展する場面をよく目にしますよね。そのけんかを見たくて、読者はテレビを点けているのでしょうけれど。

 

ただ、議論や討論の場で、自分の考えを否定されたり、修正されたりするたびに怒っていたら、なかなか自分の考えは深まりませんし、考える技術も育ちません。

 

「じゃあ、どうしよう?」という時に役立つ練習ツールが、今週の特集には出てきます。人間に否定されるとかちんとくるけれど、人間じゃない何かに間違いを否定されるのならば、別に怒らなくて済むよね、という話です。

 

ぜひ、最後まで読んでみてくださいね。

 

HOKUROKU編集長・坂本正敬