近所の桜並木沿いにある着物店で先週末、茶会が開かれていました。

 

ランニングでもしようと通りかかったら、着物店の前に知り合いが立っていて、誘われたので飛び入りで私も参加してみました。

 

ほぼ無料に近い入場料を支払い、奥に入ると、茶道の先生と生徒のけいこを兼ねた茶会が開かれています。何も作法をわきまえない私ですが見よう見まねで、知人、および初対面の参加者とお相伴させてもらいました。

 

茶道の先生も生徒も、私以外の参加者も皆さん着物姿です(私だけランニングウエア姿)。私の前後のタイミングでお茶会に参加した人たちもほとんど皆さん着物を着ていました。

 

率直に、こんなにも多くの人が当たり前に着物を持っている事実にびっくりしましたし、桜の季節に見事にマッチした色柄の着物をチョイスできるセンスにも驚かされました。

 

一服を楽しみ、外に出ると、茶会に参加した人たちが桜並木の下で雑談を楽しんでいます。ほどなく、犬を散歩中の人が足を止め、茶会の参加者の輪に混じり談笑を始めます。そのコミュニティは幸せな雰囲気に満ちあふれていました。

 

「着物は、着るために時間がかかるので、時間にも心にもゆとりがないと着られないんです。こんな風に、普段の暮らしの中で着物を着るゆとりのある人は、ワークとライフのバランスがきちんととれている証拠。都会の人にはなかなかまねできない魅力として県外の人に訴えてください」

 

着物店から出るなり、一緒に参加した知人が言いました。確かに、奇麗な着物を持っている状況そのものが経済的なゆとりを意味しますし、お茶を習う、茶会に顔を出せる状況は、時間的なゆとりを意味します。

 

季節の行事に着物姿で参加できる人々の多さは、その地域のワークライフバランスが保たれているかどうかを測る、ちょっとトリッキーな指標の1つになってくれるかもしれません。

 

そんな風に思うと私も、着物がほしくなってきました。

 

茶会が開かれた着物店の奥には、男性用の着物の古着も一部あるみたいです。自分の世界を広げるためにも、着物店の店主に相談してみようと思います。年齢を重ねるほどに、自分の世界になかった趣味を始めるといいって聞きますし。

 

HOKUROKUでも、着物を絡めた暮らしのコンテンツを何かつくれないか、ちょっと考えてみます。

 

今週も、よろしくお願いします。

 

HOKUROKU編集長・坂本正敬