福井・石川・富山のどこにある? 東西「お雑煮」の境界線。

2021.01.04

vol. 01

京都を中心にみそ仕立ての料理として生まれ、関東でしょうゆ仕立てが広まった。

京都のお雑煮。白みその汁に丸もちが見える。写真:農林水産省。

お雑煮は東日本と西日本で、もちの形状が異なります。汁についても、関西とその他の地域で味のベースが異なるとご存じでしたか?

 

もちについては西日本が丸もち、東日本が角もちで、汁については、京都を中心とした関西がみそ仕立て、その他の地域では、しょうゆ仕立てのすまし汁が基本になります。

 

言い換えれば、全国のお雑煮は丸もちと角もちの違い、みそ汁とすまし汁の違いで大まかに整理できてしまうのですね。

 

この違いは、お雑煮の歴史に由来しています。そもそもお雑煮とは室町時代の京都において、お酒の場で食べられたみそ仕立ての煮物として歴史をスタートさせているのだとか。

 

室町時代の後期になると、その煮物は上流階級の人たちの間で、正月に食べられ始めます。

 

江戸時代には現在の千葉県野田市でしょうゆの醸造が盛んになり、当時の一大消費地である江戸(東京)ですまし汁(しょうゆ仕立て)のお雑煮が、庶民に普及しました。

 

みそが関東で主役の座から降ろされた理由については、「めでたさにみそをつける」と言った語呂の悪さもあったとも言われています。

 

この辺りの経緯は〈日本の美しい食卓歳時記〉(新光社)〈全国から集めた伝統の味 お雑煮100選〉(女子栄養大学出版部)などの書籍に詳しいです。

 

お雑煮が京都を中心にみそ仕立ての料理として生まれ、江戸時代には関東でしょうゆ仕立ての料理として広まった、この歴史は、もちろん今も続いています。

 

例えば伝承料理研究家の奥村彪生さんが作図した〈日本の雑煮文化圏図〉(農山漁村文化協会)を見ると、京都に近い関西ではみそ仕立てのお雑煮が今でも一般的で、関東ではしょうゆ仕立てのお雑煮が親しまれていると分かります。

 

農林水産省のホームページなどを基に〈HOKUROKU〉で作成。

もちろん細かく見れば、同じ関西でも白みそ地域と赤みそ地域に分かれます。ただ、この場合の白みそと赤みその違いとは、

“やや麹の多いタイプの白っぽい味噌か、しっかりした味わいの赤っぽい味噌かの違い”(プレジデント社〈お雑煮マニアックス〉より引用)

に過ぎません。要するに全国には、関西を中心にみそ文化圏があり、関東を含む他の地域ではすまし汁文化圏があるのですね。

京都を中心とする西日本は丸もち、江戸(東京)を中心とする東日本は角もち。

東京のお雑煮。焼いた角もちがすまし汁に入っている。写真:農林水産省。

お雑煮の東西の違いは、もちの形状にも表れます。

 

お雑煮発祥の地である京都では、年神様にお供えする鏡もちをまねて、丸もちが使われるようになりました。丸もちには「円満」の意味も込められています。

 

その影響は、京都を中心とする関西、さらに言えば西日本全体に残っています。

 

しかし、すまし汁のお雑煮(もち吸い物)が庶民に普及した江戸は、古くから武士の支配した土地。

 

特に江戸時代は幕府が置かれ、武家の支配が究極まで高まった時期です。

 

もちにしても「円満」という貴族的な発想ではなく、「敵をのす」(殴ってやっつける)という力強い意味を込め、「のす」=殴ってやっつける、および(または)力を加えて伸ばし広げるといった2つの意味を持つ、のしもち(長方形に平たく伸ばしたもち)が使われました。

 

伝承料理研究家の奥村彪生さんによると、一方でのしもちが使われた背景には、当時の住宅環境もあったと言います。

 

当時の江戸は何軒もの長屋でかまどを共有する生活スタイルが一般的で、各家庭が自由にもちをつけなかったと言います。

 

その代わりに、道具一式を持ったもち屋が長屋を周り、もちをつくっては一気に伸ばし(丸める手間を省き)、板のような状態で売りました。

 

各家庭では買ったもちを少し乾かしてから、四角く切ります。その切った角もちをお雑煮に入れたため、角もちが一般的になったのですね。

 

ただ、角もちは焼かずに煮ると、汁の中で溶けてしまいます。そのため関東の人たちは、焼いてからお雑煮に入れる工夫をしました。

 

その文化は今でも色濃く残っています。関東で生まれ育った筆者(HOKUROKU編集長の坂本と言います)も、焼いたもちをすまし汁に入れるレシピで育ちました。

 

ちなみにもちを焼く理由には、焼くともちが丸く膨らむ=「円満」の意味も込められているみたいですね。

旧北陸道を進みながら、お雑煮の東西境界線を探ります。

農林水産省のホームページ情報を基にHOKUROKUで作成。再掲。

京都を中心とした西日本の丸もち文化圏と、江戸(東京)を中心とした東日本の角もち文化圏の境界線は、日本地図で見ると、本州の中心近くを縦断しています。

 

同じように関西のみそ文化圏と関東を中心としたすまし汁文化圏の接触する境界線も、もちの境界線に近い場所を重なるように走っています。

 

過去に筆者はこの境界線が正確にどこにあるのかと、東京の日本橋から京都の三条大橋を結ぶ東海道に着目し、東海道五十三次をすごろくのように進みながら、現地のお雑煮を取材した経験があります。

 

しかし、この時は東海道、言い換えれば本州の太平洋側ばかりに目が向かい、もちと汁の文化圏の違いを示す境界線が日本海側の北陸にどうやって伸びているのかまでは、調べませんでした。

 

そこで今回の〈HOKUROKU〉の特集では、お雑煮の発祥の地である京都に近い福井からスタートして、石川、富山へと続く旧北陸道を地図上ですごろくのように進みながら、北陸のどこかに走っているはずのお雑煮の境界線を探ります。

 

旧北陸道の主な宿場。まずはお雑煮発祥の地、京都に近い福井の敦賀からスタートして、現地のお雑煮を確かめていきます。イラスト:武井靖。

(副編集長のコメント:次は第2回。お雑煮発祥の土地に近い福井のお雑煮はどのようなもちと汁なのでしょうか。若狭、越前と大まかに福井を南北に眺めながら、調査を進めていきます。)

若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡を結ぶ街道。今回はそのうち、若狭、越前、加賀、能登、越中が舞台。別名を「ほくろくどう」とも。

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