大阪へ出かける予定が先日あり、昔の仕事相手に10年ぶりくらいに再会する機会に恵まれました。
久々に会ったその人は、会っていない間に結婚し、子どもを3人ももうけ、大阪の隣県に引っ越し、前と変わらずIT系企業の社長業を続けていると聞きました。
もう、久々の再会は楽しすぎました。しかし、会えていなかった10年間で、価値観や物事へのスタンスに距離が生まれていると感じた部分もありました。特に、生成AI(人工知能)についてです。
ちょうど会えていない10年で、みるみる社会に浸透していった生成AI。私自身も当然、日々使い倒しているのですが、あくまでも人間が主役で、その主役の人間がよりよく生きるために使っています。
しかし、その経営者は、身の回りの全てが間もなく生成AIに取って代わられるため、自分のビジネスがなくなるのではないかと、戦々恐々としているのだとか。
まあ、よく聞く話ですが、業種による温度差の違いなのでしょうかね。
私が終始、のほほんとした反応を示しているとその方は、私の専門とする業務に関して、悲観的な未来を並べ立てます。例えば、インタビューは間もなく、生成AIに完全に取って代わられる未来が来ると言います。
「その証拠に」という感じで〈Chat GPT〉の音声機能を使って「○○についてインタビューして」と指示を出し、生成AIのインタビュー力を示してくれました。
類似の例も幾つも出してくれました。要するに、文筆、編集、翻訳の分野について、かなりの業務をAIが代行し、多くの人が廃業に追い込まれると力説していました。
まあ、たぶん、私の将来を案じての助言半分、その人自身が感じている恐怖を、私が感じていない現状への面白くない感じも半分くらいあったのだと思います。
でも、例えば、インタビューって、もっと泥臭い作業なんですよね。準備した質問を、立て板に水を流すようによどみなくしゃべれるかが重要なのでは決してなくて、もっと人間的な部分が求められるわけです。
「こいつになら話してもいいな」と相手に思ってもらうために、初対面からインタビューに至るまでどう関係性を築くかとか、相手の細やかな表情の変化を感じ取れるかとか、普段の自分の生きざまから何がにじみ出るかとか、すごく人間くさい部分が大事になってくるわけです。
インタビューという行為の表面的な部分だけを取り出して、生成AIにとって変わられると言われても、正直ピンとこないなという率直な思いです。
その方は、仕事相手と最近、何年も会っていない、全部オンラインで完結すると言っていましたが、私の方は真逆で、人と人とで顔を突き合わす時間がますます増えています。
これって、土地の違いなんでしょうかね。
個人の考え方の違い、業種の違いも当然あるはずですが、経済合理性がますます進む大都会と、人と人との時間がまだまだ大事にされている北陸のような地方の違いが多少なりともあるとすれば、いい土地に引っ越して、いい土地で過ごしてきたんだなあと感じます。
そんなこんなで〈HOKUROKU〉はこれからも、じっくりと人に寄り添って、経済合理性や短期的な成果とは一線を画し、物事の意味や人々の物語にじっくりと向き合っていきます。
明日も、能登の先端へすてきな人に会いに行ってきます。今週も、よろしくお願いします。
HOKUROKU編集長・坂本正敬